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大須賀淳
2024.8.4 18:23その他ニュース

フランスの後悔と日本の戦後民主主義

「現代ビジネス」に掲載された『フランス革命は行き過ぎだった』…近年、革命の評価が批判に変わってきた理由という記事(書籍から抜粋された3本シリーズ)を興味深く読みました。

 

オリンピック開会式での、斬首されたマリー・アントワネットの演出が物議を呼んだばかりですが、記事中では近代の研究による(植え付けられた「愚昧な王」というイメージとは違った)ルイ16世の人物像なども交えながら、フランスにおける


フランス革命を、前近代社会から近代社会へと脱皮する転回点として高く評価してきた時代はそろそろ終わりを迎え、近年は行き過ぎた運動として批判する傾向が強まっています。


という風潮を紹介しています。

 

この詳しい所は、この記事の原著などでリサーチしてみようと思いますが、やはり御当地においても、フランス革命が「行き詰まった時に帰る場所」と手放しで捉えられているわけでは無さそうです。

 

急進的な革命が歴史を分断してしまった後には、決して戻せない断層が横たわってしまうもの。そこで生じる歪みと対峙した時、熱狂の中で次々とギロチンを振り下ろした蛮行への疑問が出るのは当然でしょう。

 

フランス革命では歴史との分断と引き換えに「民主主義」を得ましたが、これは日本も他人事ではない…どころか、実はかなり似た状況に晒されています。

 

日本の歴史感覚を大きく分断しようとしているのが「戦後民主主義」だからです。

 

日本の社会は敗戦による歴史の否定で、過去へと連なる連続性の感覚を大きく喪失しました。これは「サヨク的」なものだけでなく、単純な反動で(現実と遊離した、自己慰撫のためだけの)頑迷な守旧を喧伝する「ネトウヨ的」な価値観も同じ。共通するのは、単純化されたイデオロギー的な言説や思考停止の横行です。

 

そんな中、絶体絶命と言えるほどの危機に晒されながら、エートスをしっかり引き継ぎつつ、時代に対するしなやかな変化を続けて、日本の「縦の糸」をつないで来たのが皇室です。

 

日本の現状は、表面的には「保守であるぞよ!」と肩をいからせる者たちが、実は一番戦後民主主義的な歴史分断に染められてしまっており、皇位継承の危機や、みっともないレイシズムと撒き散らしていると言えるでしょう。

 

フランス革命への後悔と同じような感覚を、我々の子孫にも抱かせてしまうのか?

 

それを回避できるかどうかが「民主主義に希望はあるのか?」という問いの非常に大きなポイントになるでしょう。

大須賀淳

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