パリオリンピックでは、
ボクシングでトランスジェンダーという元男性が女性として出場できて、さらに相手女性を一方的にボコボコに殴るのが競技として行われているようです。信じられません。
バスケ、柔道の誤審が世界的に騒がれているようですが、女性審判に批判、指摘をすれば女性批判だとされ、もうむちゃくちゃすぎて言葉を失います。
中には批判を逸脱するのはあるかもしれませんが。
開会式が行われた日の朝に、首切りと、血飛沫を彷彿させる映像を見ました。
誇らしげに演出しているのを見て、この瞬間から、私にはパリ五輪は人権真理教のバカ騒ぎにしか見えなくなりました。
人権とは、こうも狂って、人の営みの中で生み出された常識という価値をむちゃくちゃに破壊してしまうものなのですね。
「理性的」判断をしたうえで人権に価値があると言うならば、五輪、つまり公平にスポーツをするためには、非常に重要なのは審判で、理性そのものでなくてはなりません。
その審判が平然と間違え、過ちを訂正しない。
これは理性的な判断ではありません。
このことから、人間の理性なんて、全くもって怪しいもので、絶対的信頼などおけるわけがないことがわかります。
AIの方がいわゆる理性的に機能するでしょう。ただし、人間の行為をAIなんかに審判されたくありません。
そとそも五輪とは、平和の祭典だったはずです。
ロシアとウクライナの戦争がこれだけ続いているのに、パリ五輪の開会式ではそのことに全く触れず、人権のバカ騒ぎをしただけ。人権主義者は世界平和など全く考えず、極めて自己中心的な思考であることを露呈しました。
もう人権と騒ぐのは、単なるわがままを言ってることにしか見えません。