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2024.7.15 07:50ゴー宣道場

「光る君へ」と読む「源氏物語」第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>byまいこ

「光る君へ」と読む「源氏物語」

第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>

 

天皇、皇后両陛下の結婚記念日を前に、宮内庁は6月6日に栃木県の御料牧場での御静養の際の写真と愛子さまが撮影されたという御愛猫の写真を公開しました。御一家の仲睦まじさと優しさ溢れる写真に、心安らぎます。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024060601039&g=soc

御愛猫の写真は、4月の園遊会で皇后陛下が横尾忠則さんと懇談された際に、お見せになっておられたもの。可愛らしいお腹の白いキジトラの日本猫で、名前は「みー」と「セブン」、赤坂御用地に迷い込んで保護されたとのこと。
https://news.ntv.co.jp/category/society/37b48c621ad64b499190390d45bf73bd

「光る君へ」で左大臣家の倫子(黒木華さん)が飼っていた「小麻呂」も、お腹の白いキジトラの猫で、石山寺縁起などの絵巻物に同じ模様の猫が描かれているようです。「枕草子」に描かれた「上のかぎり黒くてことはみな白き(背中は黒くてお腹は白い)」猫や、大の猫好きの一条天皇から五位の位をいただいた「命婦のおとど」という猫も、宮中に迷い込んで大切に飼われていたのかしら?と想像できるのも、1000年前の文学を現代でも楽しめる日本の文化のお陰ですね。

今回は、光る君が宮中で出会った心優しき女性のありさまをみてみましょう。

第十一帖 <花散里 はなちるさと 橘の花の散る里 昔を思い出させる女性のいる邸> 

桐壺院が亡くなってから、思うようにならない世の中を光る君は厭わしく感じていました。麗景殿(れいけいでん 後宮の殿舎の一つ)の女御という方は、桐壺院と御子をもうけられず、心細い有様になっていたところ、光る君の世話を頼りに暮しています。

宮中で、光る君は麗景殿の女御の妹・花散里と儚い逢瀬を持ったことがありました。忘れるでもなく、大切にするでもなくといった光る君の心をはかりかねて、花散里は悩んだに違いありません。この頃は何をするにしても悩みの多い光る君は、花散里のことを思い出して、五月雨の空が晴れた合間に会いに出かけました。

その途中、中川というところで、光る君が一度だけ関係を持った女性の家から琴の音が聞こえてきました。通り過ぎようとすると、ほととぎすが誘うように鳴いたので、心惹かれた光る君は、従者の惟光を遣わして歌を詠みかけてみます。

をち返り えぞ忍ばれぬほととぎす ほのかたらひし宿の垣根に 光る君
昔に戻り 恋しさに耐えかねて鳴くほととぎす 儚き語らいをした宿の垣根に

ほととぎす 言問ふ声はそれなれど あなおぼつかな 五月雨の空 中川の女
ほととぎす 訪れて鳴くのはたしかに昔の声なれど なんだかはっきりしないのは 五月雨の空のよう 

わざと歌の送り主がわからないふりをしているのは、もう別の男性が通っているのかもしれません。光る君は、この位の身分なら、筑紫に行ってしまった五節の舞姫も可愛かったと思い出しています。

目指していた場所は、人気なく、静かで寂しい佇まいでした。まず女御のところで、光る君が桐壺院の頃の昔話をしていると、月が昇り、橘の薫りが懐かしく匂い、先ほどの垣根のほととぎすでしょうか、同じ声で鳴いています。

橘の香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞ訪ふ 光る君
昔を思い出させる橘の香りをなつかしみ ほととぎすは 花の散る里をさがして訪ねてきました

光る君は、花散里のいる寝殿の西側に、さりげなく忍びやかに訪れました。珍しい訪れの上に、世にも見あたらないほどの光る君の美しさに、花散里は悩んだ辛さも忘れてしまいます。光る君が親しく語りかけるのも、本心から花散里を慕っているからでしょう。

光る君は、かりそめにでも関係を持った女性には、さまざまな点をみて、取り柄がないと思う方はいないからでしょうか、互いに憎からず思い合いながら関係を続けています。それをつまらないと感じる女性が心変わりをしても、それが世のことわりと光る君は思っています。中川の女性も、それで心変わりしてしまったのでした。

***
光る君の境遇が激変する、嵐の前の静けさを感じる「花散里」の帖。花散里の姉は女御なので、父親は大臣以上の身分高き女性。桐壺院亡き後、光る君が麗景殿の女御と花散里の世話をしているのは、後ろ楯となる父親が亡くなっているからと思われます。

「光る君へ」で、道隆(井浦新さん)が亡くなった後、中関白家が落ちぶれてしまい、定子(高畑充希さん)は懐妊したにも関わらず、政敵である道長(柄本佑さん)に頼らなければない様が描かれたのは、後ろ楯がなければ、中宮の品位を保ったままの出産が難しかったということ。

第八帖「花宴」で「わたしは何をしても許されているから、人を呼んでもどうにもなりませんよ」と光る君が豪語し、東宮妃になる予定だった朧月夜と関係しても、まだ大事に至らずに済んだのは、父・桐壺院が存命だったから。第十帖「賢木」で尚侍として寵愛を受けている朧月夜との関係が発覚し、弘徽殿の大后がここぞとばかりに、光る君を追い落とそうとしているのは、桐壺院が亡くなった後だからでしょう。

「花散里」の帖には、かりそめに関係を持った女性が三人登場しました。①花散里 宮中で関係し、めったに通わない女性 ②中川の女 一度だけ通った女性 ③筑紫の五節 おそらく五節の舞の折りに関係した女性

華やかにときめいていた人が逆境になり、すっかり忘れていた一度きりの関係を思い出すも、あっさり袖にされてしまう場面は、光る君の行状を「如何なものか?」と思っている方々が、留飲を下げるところでしょうか。中川の女に振られて、懲りない光る君が思い出す筑紫の五節は、「紫式部集(紫式部の和歌集)」に記されている「筑紫へ行く人の女(むすめ)」という紫式部の友人がモデルとのこと。

「光る君へ」第24回で、亡くなってしまったさわ(野村麻純さん)から、まひろが受け取った「ゆきめぐり あふを松浦の鏡には 誰をかけつつ 祈るとか知る(行きめぐり 会うを待つという松浦の鏡の神には 誰を心にかけて祈っていると あなたはお思いかしら)」という歌は、「紫式部集」に収められている先ほどの友人の歌の引用。

空蝉と軒端の荻のごとく、石山寺で取り違えられた後は、まひろの歌を写して学ぶなどして友情を深めたさわに、紫式部の友人の歌を詠ませる。実にきめ細やかな描写ですね。筑紫の五節は、この後の帖にも登場しますので、ドラマでは退場したさわを偲ぶよすがにしていただけたらと思います。 

「橘の香をなつかしみ」橘の花が昔の人を思い出させるという発想は、「古今和歌集」と「伊勢物語」60段に収められている歌「五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」から。当時は「橘」と聞けば、即、この歌が思い浮かんだようで、「枕草子」には、「古今和歌集」全20巻1000首あまりを全て諳んじた女御の逸話や、中宮定子が女房たちに上の句を聴かせ、すぐ下の句を書かせた様子が描かれています。現在の百人一首を使った競技かるたのようですね。

「伊勢物語」60段には-ある男が宮仕えで忙しいあまり、他の男と去ってしまった元妻と任地で再会、「五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔なじみの人、あなたの袖の香りがしますね」と詠みかけたところ、元妻は恥じて尼になり山に籠ってしまった―とあります。

「伊勢物語」は、在原業平(平城天皇の孫・在五中将)を思わせる「男」が繰り広げる后や伊勢斎宮との禁断の恋、幼馴染みとの恋や老女との恋など数々の恋愛譚と、「東下り(京都から東国へ行くこと)」を描いた125段から成る物語。在原業平も、光る君のモデルの一人と言われています。

「かりそめにでも関係を持った女性には、さまざまな点をみて、取り柄がないと思う方はいない」という光る君は、「ゴーマニズム宣言外伝 女について」の帯の名言「大概の女は好きになれる」そのものですね。

花散里は、光る君の心が分からず悩んでいても、その美しさを目の当たりにすれば、辛さをすっかり忘れてしまう。他の女性たちは、あの末摘花でさえも「恨み」という言葉を歌で使ったように、逢えない寂しさや嫉妬などを訴えたに違いないと思われるのですが、花散里は、優しく迎え入れる。

藤壷や朧月夜など、危険な恋ほど情熱を燃やすように見える光る君が、花散里を思い出して逢いに行ってみようとしたのは、逆境に陥って、心が疲弊している時には必要な居心地の良さを、他では感じることができないからでしょう。後ろ楯を失くして立場が不安定になった者同士としての共感もさりながら、同じ立場の者を助けるという義侠心を受け入れてくれる花散里に、光る君の方が心の安定を与えられているという側面もありそうです。

同じく宮中で出会っている朧月夜との極彩色の恋愛とは、対極のような穏やかな恋。タイトルロールともいうべき「花散里」という帖が一つ当てられているこの女性は、今後、光る君の子供の世話をするなど、正妻のいない光る君を支える重要人物になってゆきます。

幼いときに母を亡くした故に藤壺に執着し、恋愛遍歴を続ける光る君が、女性に居心地の良さを求める様には、いわゆるマザー・コンプレックスという無粋な烙印が、現代ならば押されそうですけれども、谷崎潤一郎が「母を恋うる記」などで表した「母恋い」という麗しい言葉を当てはめれば、いつまでも幼子のままでいるような男性の可愛げも感じられるのでは?

「伊勢物語」は、まめやかな愛情をしめされなくて去ってしまった女性を、「源氏物語」は、まめやかな愛情をしめされなくても、いつでも子供を優しく迎え入れてくれる母のような女性を、それぞれ懐かしむ香りとしての橘を描いたといえるかもしれません。

さて、「光る君へ」は、急展開。結婚が上手くいかず、宣孝に灰を投げつけ(女性を理解する上で、かなり重要な場面なので、ぜひ覚えておいてください)再び石山寺に参篭したまひろと、内憂外患の政に疲弊しつつ、まひろを最も愛している道長と、まひろの「忘れえぬ人」が道長と知っている宣孝。この三人の関係性は、「源氏物語」のどのあたりが反映されているのかを思い合わせつつ、この後の帖もお愉しみいただけましたら嬉しいです。

 

【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>

第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >

 

 


 

 

いきなり、コレが出てくるとは意表を突かれました~

いや、言われてみれば納得以外のものは何もないんですが。
「幼いときに母をなくした故に、女性に居心地の良さを求める」というキャラといえば、それが合ってるかどうかはわからないけれども『夫婦の絆』の一郎を連想してしまいますし、今後どういうところでよしりん作品、あるいはよしりん本人との関連が出てくるかわからない! というところでも、どんどん興味を惹かれてしまいます。
感想もこちらにお待ちしております!

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