皆様、こんにちは!公論サポーターのゲリラ工作員もどきしている普通の婦女子、ランランと申します。
今回は、天安門事件35年経った今、兵法と当時に煽りをくらった人の証言をご紹介したく思います。
ここでの天安門事件とは、一般に6月4日に起きた六四天安門事件をさします。6月4日に北京市にある天安門広場(毛沢東の写真が飾ってあるでっかい門の場所です。)に民主化を求めて集結していたデモ隊(学生達)に対し、軍隊が戦車と機銃を用いて実力行使した多数の死傷者を出した事件であります。
しかもこれにGOサインを出したのは文化革命の終結した鄧小平であり、毛沢東と同じ鉄を踏んだ愚かしい事でした。
当時、東アジアの広範囲で民主化が活発し、中国国内でも若者多数が民主化運動が活発になり、八路軍政府はキリキリ舞いでした。八路軍にとっては都合の悪い西欧の自由主義、資本主義を何とかしようと、民主化運動している人達に対して色々動きました。
最初は鄧小平は説得しようとし、あの手この手とやっていましたが、なかなか思うようにいかず、覇者特有の、”自分に逆らうなら容赦しない”となり、次の様な動きをしたと推察しました。
敵を討つには、騙し討ちもとい、いつもの動きと油断させ、学生達を広場に巧みに誘導し、(これを誘引の計とも言います。)そして逃さないよう軍隊をしれっと大量に配備。敵の退路を閉ざしてから機銃掃射と戦車で包囲殲滅し、これを関門捉賊(かんもんそくぞく)の計と言います。
敵が一瞬柔和になり話し合いに転じて来たら要注意です。大陸では俗に退く時は怒り(強気)で、攻める時は笑顔で和睦を提案するとも言います。
また、その後の情報統制でしばらく世にこの事件が明るみにならなかったのは八路軍が暗躍し、見聞きした者を調べあげ、家族を人質にとって、”家族と自分の命が惜しければしゃべるんじゃねぇ!”と脅されたからと、当時近くのホテルに泊まり、”出るな!”と言われ、翌日銃弾の雨があたった壁を見た大陸知人に聞いた証言がありました。
これは文化革命にも暗躍したやり口で、相手の搦め手(弱点)または家族や自分の身命を脅かす言動と拘束する、擒賊擒王 (きんぞくきんおう)という計で、ゲスい悪党の常套手段とも言います。
以上が天安門事件とその裏の動きをご紹介しました。
皆々様も、世知辛い世の中ですが、普段ゲスい人が優しくすり寄って接して来たら、それは改心したからではなく、こちらを害そうとしてくるフリの可能性がある事を頭の片隅に入れて頂ければ幸いです。
皆で識れば怖くない、片手で捻れる知識を引き続きご紹介したく思います。
昨日はNHKニュースでも「天安門事件35年」の話題を扱っていましたが、中国当局の情報統制はますます厳しく、天安門広場周辺は警官や私服刑事が大勢で厳戒態勢。
香港でも2019年の「国家安全法」の制定以降、以前は行われていた追悼集会も一切できなくなっています。
そして、中国国内で放送されるNHKも、このニュースの部分は音声が消え、画面が真っ暗になっているはずです。
隣にそんな国があるということに対する警戒心はいつも忘れてはならないし、そんな国が急に笑顔で擦り寄ってきたら、そんな時こそより一層警戒を強めなければ案らないということは、心しておくべきでしょう。