(昨日の続き)
ゴー宣ジャーナル&エッセイブログ編集長・時浦です。
2月16日に急死したロシアの反政府指導者、アレクセイ・ナワリヌイを「愛国者」として書いたブログを掲載したことは適当だったのか? という問題について考えます。
私は、ナワリヌイという人物は「中国革命の父」と呼ばれる孫文によく似ていると思っています。
孫文は、腐敗し西欧に侵食される清朝を打倒して、新国家を建設するために生涯を賭けた革命家として知られ、多くの日本人が彼に対して支援を惜しみませんでした。
しかしその革命は失敗続きで、清は倒れたものの後には混乱が残るばかりとなり、そんな中で孫文は「革命未だならず」の言葉を遺して亡くなるのですが、その死の直前まで篤い支援を続けた日本人こそが、『大東亜論』の主人公・頭山満でした。
もしも掲載誌SAPIOが休刊していなければ、頭山と孫文の交流や中国革命は、熱いエピソードとして描かれていたことでしょう。
ところが、実のところ孫文とは実に毀誉褒貶の激しい人物でした。例えば…
清朝の圧政から人民を解放し、「三民主義」を基とする新国家を目指していたというのは表向きであって、本当は自分が権力を握りたかっただけ。
そのためには手段を選ばず、外国からの支援を得ようと国籍を変えたり、軍閥と手を結んだり、最後にはソ連・コミンテルンとまで手を組んだ。
「三民主義」などの理想的なスローガンも、海外からの支援を取り付けるために言ってただけ。
孫文は漢民族中心主義者であり、異民族(満州族)の清を倒して漢民族の国家を復興することを目指すのみならず、さらには満州族・ウイグル族・チベット族などを漢民族に同化しようとしていた。
だから孫文の革命が成功していたら、現在の中共と同じことをしていたはずだ…
…等々が批判されている点です。
ナワリヌイが批判されている点とかなり似ています。
台湾出身の評論家・黄文雄氏は孫文を「ホラ吹き」とか「詐欺師」と酷評しており、もし『大東亜論』で頭山と孫文の交流を感動的なエピソードにしていたら、黄氏や台湾の人たちから相当に批判されていたかもしれません。
このあたりも、ナワリヌイを肯定的に見たらグレンコ・アンドリー氏やウクライナの人たちからすごく批判されるということと共通していると言えるでしょう。
グレンコ氏は、ロシアはプーチンの代わりに誰が指導者になっても変わらない、少なくとも次のミレニアムまで変わらないと言っていましたが、中国を見てもそんな感じはします。孫文が天下を取っていても中国は変わらなかったし、ナワリヌイが天下を取ってもロシアは変わらなかったはずです。
それにしても、ナワリヌイはなぜ殺されることも覚悟してあえて祖国に帰り、そしてあえなく殺されてしまったのでしょうか? そこには謎が残ります。
そしてその選択は『大東亜論』に描かれた金玉均に似ているともいえます。
なお金玉均についても、本当は「親日家」だったわけではなく、自分が権力の座に就くために日本を利用しようとしていただけだとする説は、ずっと存在しています。
来年没後100年になる孫文の評価が未だに定まっていないのだから、2か月前に死んだナワリヌイの評価が定まらなくても無理はないし、どの見方が正解だとも言えないのではないかと、私は思います。
孫文に関して言えば、やっていたことにあまりにも節操がなさ過ぎて、本当に「詐欺師」だったんじゃないかと思わないこともないのですが、しかし頭山が孫文を生涯支援していたのは事実です。
では頭山の目がフシ穴で、ただ騙されただけという「物語」とするか、それとも頭山が孫文に何らかの真実を見出して、この人物に賭けたのだという「物語」とするか? どちらが見たいかと問われれば、それは断然後者です。
ナワリヌイについても、本当はプーチンと五十歩百歩だったんじゃないかとも思ってはいますが、もはや実際にプーチンに代わって権力の座に就き、ウクライナ人を虐殺する指導者になるということは決して起こり得ません。
そして、多分に「敵の敵は味方」という単純な発想からだとは思いますが、ナワリヌイはプーチンに反旗を翻し、ロシアの国をより良くしようとして斃れた愛国者だったという「物語」が出来上がってしまっています。それなら、その物語に乗っかっておいてもよかろうと判断した次第です。
それは真実ではない、ナワリヌイの美化はいけないという批判は甘受しますが、あのブログを掲載した判断自体が間違っているとは思えないというのが、現時点での私の考えです。
(この項つづく)