民俗学に関する行政のお仕事を地道にやっている。
学生時代、ちょっとかじってみたかったのが
考古学と民俗学なので、関われること自体が嬉しい。
しかし資料を読んでたまげたわ〜。
大正から昭和20年代くらいまでの農村部の暮らしを
見ていると、もはや現代では失われた風習がたくさんある。
同じ国か?と思うくらいだ。
たとえば食事。
昭和10年代頃まで、各自のお膳があった。
ちゃぶ台すら、当時にとっては未来の家具だ。
餅つきも何かと記念日には行っていて、
どの家にも臼と杵があった。
うどんもこねるところから始めていた。
農村だから、米の収穫時期は忙しい。
近所の人どうしが助っ人に行ったり来たり。
パジャマはない。女性は夏は浴衣、冬は着物にネルの腰巻き。
養蚕農家はお蚕さまが最優先で、人間は部屋の外で寝起き。
現代では、集合住宅の隣の家とさえ
醤油の貸し借りをしなくなった。
経験したこともないくせに、勝手に昔ながらの暮らしに
ノスタルジーを感じてしまう。
が、到底納得できないこともある。
たとえばある地域では、
嫁入りの年に繭が十分にできないと、
来た嫁のせいにされてしまうのだとか。
なんでだッ。
もっと古い時代には、着物一式(普段着ばかりか
冠婚葬祭用の着物まで)を縫えないと
「女じゃない」と姑から言われることがあったらしい。
私はけっこう裁縫が好きなので
手縫いやミシンでいろいろなものを作ったりするけど、
それが「女であることの必須条件」になったら
途端に裁縫が嫌いになりそうだ。
しかしなあ、いまどきアップサイクルとかいって、
古いものを新しく価値あるものに生まれ変わらせる
リサイクル方法が注目されているけど、
一昔前の人は皆、そうやって生活していた。
そういえば祖母は、着物をほどいて半纏(綿入れ)を
小さいときに作ってくれていたな。
資料を見ていると、現代人の我々は何か急速に
いろいろなものを失っている気がしてならない。
杵も臼も、ここ十数年、目にしていない。
とはいえ、その時代に戻れるわけでもなければ、
今の私たちがその生活に耐えられるわけでもない。
ただ、近代化と引き換えに、便利さを手に入れた代わりに、
私たちはうどんをこねることも、饅頭を作ることも、
針仕事をすることもなくなった。
それは本当に豊かなのかということは、
自分の心に問い続けていきたい。
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