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大須賀淳
2024.3.23 17:33その他ニュース

「キャンセル・カルチャー」+「村八分」は最悪マリアージュ

日本人の特性として、外来のものを巧みにアレンジしながら自国に取り込んでしまうのが上手い、というものがあります。

 

皆さんご承知の通り、これは長所・短所両方の側面があり、特にコロナ騒動では、実際の病禍以上のカンセンタイサクによるダメージを社会に招いてしまいました

 

私はいま、欧米由来のキャンセル・カルチャーと、日本の闇に根付いた「村八分」的な特性が合体して怪物になってしまう事を、とても危惧しています。

 

村八分」は、資源や情報の乏しい共同体の中で(主に不文律に基づいた)掟を破った者に対して「世間」から向けられる(多義的な)「暴力」です。

 

日本に限らないと思いますが、実践的キャンセル・カルチャー主義者の大部分は、正義感なんてただの口実で、私的なルサンチマンの捌け口を求めているに過ぎません。

 

宗教的道徳観も、「世間様」の御意向も、本当はちゃんとした意義もあるはずなのに、怠惰なルサンチマン保持者の正当化に使われやすいんです。

 

例え一人ぼっちになっても戦う覚悟なんていらないからね。実際は「保証された正義(っぽいもの)」に甘えた、幼児的な破壊衝動。

 

日本の「世間」は、不文の感覚を数多く共有しているからこそ、「庶民」の間で相互扶助として有効に機能する事もある一方、「大衆」が暴走した際には極めて残忍な暴力装置と化す危険性もはらんでいます。

 

日本社会において大きな力を持つ「世間」には、その暴走を食い止めるために法と拮抗させる仕組みが絶対に必要です。これは、政治的な権力と憲法との関係性と構造的に同じものです。

 

喜ばしくはない現象だけど、トランプがあんなに支持されてしまうアメリカの方が、現在のような形のキャンセル・カルチャーが衰退するのは早いかもしれないですね。

 

一方、日本社会には「世界最強の陰湿なキャンセル・カルチャー」が生まれてしまう危険な因子が確かに存在します。

 

健全な慣習が機能する庶民の社会を保守するためにも、出鱈目で理不尽な私刑は法治主義により抑えられなくてはいけません。

 

キャンセル・カルチャーと「世間様」がマリアージュした(オシャレに言うといっそうグロい(笑))化け物が、日本を踏み荒らして「文化的焦土」にしてしまうような事態、私は徹底抗戦します。

大須賀淳

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