女子高生とパパ活してきました。
いや、コンプラ違反を実践したわけじゃなく!本物のパパとして(もちろん実の)娘の卒業式に行ってきただけです!
いやーしかし、子供が大きくなるのなんて本当にあっという間ですね。この子が生まれた頃ってゴー宣で言うとどの辺りかなーと調べてみると、大体この辺り。
「え?これなんて、比較的最近の作品じゃなかったっけ?」はい、気持ちはわかります。だけどもう、ここから18年も経ってるんですね!
さて、今日の本題はそこじゃありません。会場についてプログラムをめくると、そこに書いてあったのは
「最近は歌詞みないと君が代を歌えない人も多いのかなー」と、ちょっとビックリしました(憤るまでではなく、純粋な驚き)。
ただ、日の丸もちゃんと掲げられて登壇する人はみな一礼するし、君が代の斉唱になったら父母まで含め全員起立します。国旗や国歌にヒステリーを起こすような幼稚なサヨクがこの空間にいない事に安堵しました。
ところが…ですね。
スピーカーから曲が流れても、誰も歌わないんですよ。耳と目をこらしてみても、横目でチラチラして確認できる範囲では誰も口パクもしてないですし、生の声もぜんぜん聴こえません。
これでは「国歌斉唱」じゃなく「国歌静聴」だなあ…。
もちろん僕は歌いました。普通の会話くらいの声量。それによって変に見られているような感じもまったくなく、ともかく何もないまま淡々と流れてしまう感じ。
これ、ある意味天皇・皇室に対する「ごく一般的な感覚」をリアルに表しているのかも、と思いました。
きっと、会場にいた人の中で積極的に皇室が嫌いな人なんてほとんど居ないと思うんです。なんなら、ニュースで愛子さまが出たりすると好感を持ってみている人の方が多いと思います。
だけど、自身にダイレクトに直結するものとして捉えた事がないから、自然な気持ちで率先して歌うこともなければ、逆に強烈に反発することもない。
同時に、週刊誌の記事などが出てはいても、皇室の継続がここまで危機的な状況になっている事も、あまり知られていないと思います。
何せ、それを強く国民に訴えかけなければならないはずの国会議員までもが、大部分「国歌静聴」みたいな態度で、皇位継承問題を日和見しているから。議員においては、その態度は愚かなだけではなく十分に「罪」です。
今の状況がさらに広く伝わり、多くの国民と皇室の願いの結実たる「愛子皇太子」の実現に至るなどしたら、状況自体も素晴らしいと同時に、自分たちの意思で未来を拓いたという、大きな成功体験の充足が国民の間に広がるでしょう。
そうなったら、自然な気持ちの発露として、君が代を(積極的に)「歌いたい!」となる人も続出するのではないでしょうか。
ひじょうに欺瞞的な「静謐な議論」もそうですが、いまの時代局面において「静か」な事に利点などありません。ウルサイだけのノイジーな偏向思想に状況を利用されるだけです。
人々の気持ちの発露として君が代が斉唱される。その状況が実現した時こそが「ヴォーカル・マジョリティ」にとっての、大きなポイントになると感じています。