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2024.3.8 07:00ゴー宣道場

日本の堕胎の歴史

おはようございます。
DOJOサポーター関東支部のよっしーです。
先日の時浦さんのブログを読み、日本における堕胎の歴史を調べたくなりました。
トッキーさんのブログ↓
https://www.gosen-dojo.com/blog/45435/

正直な本音を言うと、私は日本に堕胎罪があることは知っていても、何かしらの理由があって堕胎をする人を罪に問う気持ちが湧かないのです。
かといって、安易に堕胎することも良しとは思っていません。
私のこの感情はどこから来るのか?自分の感情の謎解きも踏まえて、日本の堕胎の歴史を調べてみました。

日本で堕胎罪が出来たのは明治からでした。
1869年(明治2年) 堕胎禁止令が出る
1880年(明治13年) 旧刑法が作られ、堕胎罪が盛り込まれる
※堕胎罪は現在にも引き継がれる

明治に作られた旧刑法「堕胎罪」は、フランスの刑法をコピーしたものでした。
日本の堕胎罪は、キリスト教の宗教的価値観から堕胎を禁止する欧米を「まねて」作られていたのです。

一方日本では、昔から堕胎が行われていました。
江戸時代には、堕胎医と呼ばれる堕胎専門の女医が存在し、薬(水銀を混ぜたものなど)を使って堕胎をしていたようですが、高額で貧しい庶民が手に入れることは困難でした。
貧しい庶民は、ほおずきを煎じて飲む(ほおずきには子宮収縮成分があるとされる)・冷たい川につかる・高いところから飛び降りる・お腹を叩く・・・などの荒っぽい方法で堕胎を試みていたようですが、母体の危険と隣り合わせの方法であったため、危険な堕胎法で多くの妊婦の命も失われていたのではないかと想像します。

日本の映画やドラマには、堕胎のシーンが描かれているものがあります。
1987年に公開された「吉原炎上」は、明治の吉原遊郭を描いた五社英雄監督の傑作映画ですが、遊女役の名取裕子(久乃)が子を宿し、悩んだあげく冷たい川に飛び込んで堕胎するシーンがありました。
遊女役の名取裕子が冷たい川に飛び込んだ後、じわーっと血のような赤いものが名取裕子の腰のあたりから出てきて、川の流れに赤いものがユラユラと漂うシーンは、「こんなに荒々しい危険な方法で昔の人は堕胎していたのか・・・」と、遊女として生きる上で避けられない妊娠と堕胎への当時の処置を知り、何とも言えない気持ちになったものです。

世界的大ヒットとなったNHK朝の連続テレビ小説「おしん」は、明治の山形で貧しい農家に生まれた「おしん」の物語ですが、おしんの母・ふじが、おしんを手元に残す(身売りさせない)ために冷たい川に浸かり、お腹の子どもを堕胎しようとするシーンがあります。
極寒の冷たい川に腰までつかり、じっと耐えながらお腹の子を堕胎しようとする母・ふじの姿を見て、おしんは奉公に出る覚悟を決めるのです。
当時、多くの子どもを持つことが家族の死活問題となった貧しい時代には、子供の身売り・間引き(口減らしのための子殺し)と共に、堕胎も悲しく行われていました。

民俗学者・柳田國男は、明治20年頃の茨城県布川について「故郷七十年」の中で、
「布川の町に行ってもう一つ驚いたことは、どの家もツワイ・キンダ―・システム(二児制)で、一軒の家に男児と女児、もしくは女児と男児の二人ずつしかいないということであった。・・・このシステムを採らざるをえなかった事情は、子供心ながら私にも理解できたのである」と布川の地に間引き・堕胎があったことを記しています。
フランスのキリスト教的価値観をまねて作られた堕胎罪が施行されていたはずの明治時代でも、日本においては堕胎が行われており、貧困の事情を知る国民は柳田國男のように堕胎を罪に問うことはせず、むしろ同情し、堕胎罪は空文化していたのでしょう。

では、現代ではどうでしょうか。
厚労省の衛生行政報告例によると、明治に作られた堕胎罪が今も存在する現代の日本でも、2021年度で年間約12万件の堕胎が行われており、多くは学生と思われる10代と、妊婦としては高齢期の予期しない妊娠と思われる40代後半~50代で高い堕胎率を示しています。

現代の堕胎理由は、貧困が主な原因だった昔とはまた違った理由が様々あると思います。
私の生活実感としては、
「大学生になった娘が大学生の彼との子を妊娠し、お互い学生では子を育てる生活力もなく、娘や彼の親もお腹の子の親が社会人になるまでの経済的支援が出来る経済力もなく、親子共に悩んだあげくやむなく堕胎した」という話や、
「既に数人子供がいる40~50代の夫婦が、もうこれ以上お腹の子供が社会人になるまで養う経済力はなく、妊婦としては高齢なのでお腹の子が社会人になるまで(大学卒業する22年後まで)働き続けることが出来ないだろうと予想し、やむなく堕胎した」という話は、身近で「ひっそりと」本人から聞く話であり、上記のグラフデータ結果と生活実感が一致しますが、彼らが「(日本にあるはずの)堕胎罪で罪に問われた」という話は全く聞いたことがありません。
私も知人からひっそりと打ち明けられた堕胎の告白を聞いて、堕胎への決断に至るまでの理由と彼女たちの苦悩を知れば罪に問う気持ちにはなれませんでしたし、むしろ柳田國男の感覚に近いものがありました。
堕胎罪は現代でも日本では空文化しているのです。

カトリック教会では「人間は受精した瞬間から人間である、つまり受精卵も人間であるという考えを示している。 しかも生まれていない人間は罪のない人間である。 中絶を行なうことは殺人であり、十戒の中の一つ、人間を「殺してはならない」という教えを犯すことになる」とされており、フランスの堕胎罪はカトリックに影響を受けたフランスの宗教的な歴史的理由からきているものでしょう。
日本は、(いまさら言うまでもなく)フランスとは違ってキリスト教の国ではないので、宗教的な理由での堕胎の罪は存在しないのに、欧米価値観こそ進歩的である!日本は劣っている!と思いこんだ明治時代にフランスをまねて堕胎罪を設けたことがそもそもの間違いだったのではないでしょうか。
日本には日本の歴史があり、フランスにはフランスの歴史があり、宗教も異なれば考え方も異なり、堕胎に対する考え方も歴史や文化や宗教が違う両者で違って当たり前で、どちらが劣っているという話ではないはずです。
また、キリスト教的歴史観のない日本で、フランスの真似をした堕胎罪が空文化するのもうなずけます。

私が堕胎に対して罪に問う気持ちになれないのは、欧米のようなキリスト教的価値観に基づいた宗教的な理由での堕胎への罪感覚がなく、昔から日本で行われていた悲しい堕胎の歴史感覚が今も自分の中に無意識に残っているからかもしれない・・・と今回調べてみて思ったのでした。

 

 


 

 

まだまだ知らない歴史はあるものですが、これは衝撃でした。泣けてきました。

フランスの価値観を「先進的」と思って取り入れたはずの「堕胎罪」を、今になってフランスで学んだ人から「日本には堕胎罪がある、遅れている!」と言われてしまうというのも、なんだかおかしな話です。
あと、いくら日本では堕胎の罪意識が薄かったといっても、今のフランスみたいに堕胎を「女性の権利」として高らかに謳うことには、どうにも違和感を覚えてしまいます。これも日本人的感覚なのでしょう。(時浦)

 

 

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