今週のライジングに執筆した「元祖アニソン作家!?三木鶏郎と日本のサブカル」色々な方からご感想をいただいており、大変うれしいです!ありがとうございます!
その中の一つ、「世界のゴー宣ファンサイト」に掲載された和ナビィさんのご感想中に、次のような一節が。
テレビでリアル鉄人28号を観ていた世代です。
テーマソング、とても懐かしかったです。
ついいっしょに歌ってしまいました。
後奏の部分に自然に「グリコ、グリコ、グッリッコー♪」と入りました。
江崎グリコ提供の番組だったんだと思い出しました。
そうなんです!記事中で取り上げた鉄人28号のテーマ、テレビ放送時は、スポンサーであるグリコの社名も高らかに歌われていたんですね(この部分も三木鶏郎の作曲だそうです)。
こうしたテレビ黎明期から現在に至るまで、民放テレビはスポンサーからの広告料で番組を制作する「広告モデル」により(もちろん、商品価格に含まれているのですが)「無料」で視聴できる番組を作っています。
これは現在のネットメディアも多数が同じ構造ですし、有料の雑誌や新聞も広告が無かったら、大幅な値上げをしなければ成立しません(そう考えると「わしズム」は広告なしで、あの充実した内容で1,000円以下だったのはスゴい!)
非常に広く普及している広告モデルは、数多くの娯楽を作る機会を創出できる一方、「スポンサーの意向」による内容の制限が大きく、過剰なポリコレ、コンプラ、キャンセルの動きに左右されやすい欠点もあります。
たとえコンテンツの作り手が「クリエイターの矜持」を持ったとしても、「商品の売上減につながる可能性のあるマイナス要素は先回りして排除したい」という「スポンサーの理屈」も理屈は通っているので、とても難しい所です。
では、広告を伴わない「課金モデル」が理想形かと言うと…「受信料」という課金モデルで成立しているNHKなどは、詳細な検証を伴わない拙速なジャニーズキャンセルの急先鋒になってしまう体たらく。
結局は、モデルの種類よりも、個々人から組織まで全てに通底する思想とカルチャー、もう少し踏み込んで言えば「エートス」に芯が通っていなければ、グラグラな価値しか示せないことが、本当に明確になっている今日この頃だと思います。
ゴー宣DOJO周辺は、よしりん先生の作品売上やDOJOイベントの参加費、グッズ売り上げ、そして多くの人々の「心意気」によって成立しているモデルです。
もちろん、様々な苦労や、ただちに莫大な規模に拡大し辛いという面もありますが、皇統問題、コロナ騒ぎ、キャンセルカルチャーの暴走などの事象と対峙するほど、コアに「思想」を追求して行くにはこの形しか無いのだなあと実感しています。
ただしそれは、よく比喩で使われる「お布施」のようなものであってはいけない(というか、絶対に無理がくる)。
あらゆる事を、自分が「消費者」の立場であったら「これぐらいの価格でこんなに楽しめるなんてスゲー!」と思うような「エンタメ」に昇華させてこそ、時代状況を突破してさらに継続して行くようなパワーにつながります。
その急先鋒的な企画である「歌謡曲を通して日本を語る」の横浜LIVE、ご来場の方も、配信でご覧になる方も、目一杯楽しんで頂けるように明日は全力を尽くします!