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2024.3.1 07:00ゴー宣道場

完璧な人生などありえない

DOJOサポーターの だふね です。

私は3人の子の母親です。「妊娠・出産の〈現実〉」を、当事者として肌で感じてきました。それは本を読むだけでは、決してわからないもの。

但し、どのようなことも基本を押さえるのは大事です。特に「妊娠できれば無事に産んで当然」と思い込んでいる人は、今からでも勉強してほしい。
(妊娠の成立に至るまでも大変なのですが、今回は成立後のことに重点を置いて書きます。)

まず、検査薬で陽性反応が出ても、ごく初期ならば、医師は「おめでとうございます」とは言いません。
フィクションで、もし「おめでとう」と医師に言わせる場面があるとしたら、それは誤った対応です。少なくともこの段階ではありえない。正常な妊娠かどうかわからないからです。

初めての妊娠で嬉しい、あるいは不安だというのに、医師がにこやかに迎えることもなく、事務的な検査と説明のみで「おめでとう」の一言もない。
思い描いていた〈理想〉どおりにならず、女性は最初戸惑うでしょうが、〈現実〉や〈変化〉を少しずつ受け入れていくために必要なプロセスとも言えます。

出産や育児などの〈現実〉とは、「こんなはずじゃない」と思うことの連続です。途中で離脱することもできないのならば、己が強くなるしかありません。「変わりたくない」と駄々をこねたところで「待ったなし」なのだから。

さて、超音波検査で正常な妊娠かどうかわかるには、次の3つのステップが必要です。

胎嚢(たいのう:赤ちゃんが入っている袋)子宮の中に見える
(陽性反応が出ても胎嚢が見えなければ異常が起きている可能性がある)
卵黄嚢(らんおうのう:赤ちゃんの栄養源)が胎嚢内に確認できる
➂胎芽(たいが:妊娠8週目までの赤ちゃんのこと)心拍が確認できる

心拍、すなわち心臓が動いていること。動きが確認できなければ、残念ながら「流産」と診断されます。確率は15%で、およそ6、7人に1人の割合で起こり、稀な疾患ではないのです。
妊婦にとっては次の検診が迫るたびに無事を祈り、当日心拍を確認しては胸を撫で下ろす日々。個人差はあるものの悪阻(つわり)などのトラブルも発生するので、安定期(およそ12週以降)に入るまで心穏やかでいられるはずがありません。

そのような微妙な時期を過ごす女性を、周囲はどのように慮るべきでしょうか? まさか、ここぞとばかりに「心配している」態で、卑俗な好奇心を剥き出しにして、勝手な憶測を聞こえよがしに拡散するような不届き者はおるまいか。

「流産」というと、「急にお腹を押さえてうずくまる」場面がイメージされやすいですが、そのようなわかりやすいケースばかりでもありません。一度心拍が確認されても、途中から静かに止まることも往々にしてある。母親も気づかぬ間に、です。赤ちゃんが子宮内に留まったまま亡くなっている状態を、稽留(けいりゅう)流産と呼びます。

「母体が無理をしたからでは」というのは、誤った認識です。初期の流産の原因は、胎児(胎芽)の染色体(遺伝子)異常が殆どで、受精卵の段階で「育たない運命」が決まっています。(但し流産を繰り返す場合は、専門医に相談すると良いでしょう。)
何も知らない他人が母親を責めるなど罷りならぬことだし、責める側の思慮、分別、共感力のなさが浮き彫りになるだけです。
気をつけて過ごし、自覚症状もなかったのに、芽生えたばかりの命が既に終わっていたことを宣告される女性の気持ちを、心ある人は想像してみてください。

昔、ある女性タレントが妊娠を発表した2週間後に稽留流産したというニュースを聴いたことがあります。悲嘆に暮れながらも公にせざるをえなかった、女性の胸の内を考えると切ない。
妊娠とはいつ、何が起こるかわからないもの。全期間に渡って「絶対に大丈夫」と言い切れないのです。
実際、ここ数年の芸能界では、正常な妊娠がわかってもしばらく明かさず、安定期に入って更に何ヶ月か経ってから公表するという人も少なくない気がします。

妊娠における本人と周囲の理解は、時代に合わせて進むものだし、意識が変化するのも自然なことです。
子どもを望んだからとてすぐに授かるとは限らないし、片方の性別にやたら固執したところで叶うとは限らないことも、今や多くの人が常識として知っている。
しかし、これに対し未だに承服できない人も一定数いるらしい。彼らはどういう了見の持ち主なのか。

「人間が生きものの人の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんのかね」とは、漫画『ブラック・ジャック』の登場人物の台詞ですが、人間が最善を尽くしたところで命の終わりを止めることができないのと同様で、命の始まりを人為的に、完璧に操作することなどできるはずがない。また、できてはならないでしょう。

人は安全に舗装された道をずっと歩くわけでなく、完璧な人生などというものはありえない。
「完璧」という定義は人それぞれですが、先のことが保証されていないのは誰しも同じ。自分しか歩くことができない人生において、自分の身は自分で守るしかない。
予想外の困難な局面立たされても、打開するために自分の頭で考え、アップデートを繰り返しながら、つど「よりましな」選択ができるようにしていかなければならない。
「思想」とは、そのために必要なものではないでしょうか。

「誰かがこうしろと言ったから」などと鵜呑みにして、思想することを放棄している人に問いたい。

責任を自分で背負おうとせず、他人の理論で武装したとしても、いつまで無理がききますか。
自分の頭で考えてもいないのに、相手に優位性をアピールすることに腐心して、楽しいですか。
そのような空虚な生き方で、あなたは、あなたの大切な人や物を、守ることができますか。
そもそもあなたは、何を守りたいのですか。

 

 


 

 

この結論部分の畳みかけに込められた怒りには、もう私がコメントをつける必要もないでしょう。
とにかく、「現代医学が進歩したから、側室がなくても男系男子継承は可能だ」などと言っている人が未だに絶えないということに、おぞましさを感じるばかりです。(時浦)

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