「世界のゴー宣ファンサイト」から
まいこさんの『夫婦の絆』感想を
ご紹介します!
アリアドネのごとく張り巡らされていた糸の幾つかを手繰り寄せることができた第11話。
3人同棲の危機において、身を引くと申し出た蜜子を止めるどころか、出て行くことを促した一郎は、ついに沙耶の我慢のコップに最後の一滴を落としてしまいました。
沙耶が完全に一郎と父親を同一視している、おぞましいはずの獣の行為は、それでも何と生命力に満ち溢れていることか。一方の地獄は、他方の極楽、蜜子が引き起こした凄惨な場面に遜色なく、この残酷さに魅入られてしまう。
観る者が全て、一郎と同じ罪に連座しなければならないような恐ろしくも美しい画面が描き出されるために、いったいどれほどの甘美なる毒が呷られてきたのでしょう。
命を賭して自分を守ってくれた蜜子は、部屋の外で何を思うのか。
沙耶の葛藤から導き出された結論は、「殺されたのは計算通り」というユタである母親が出したものと同じ発想。
「私が沙耶を守るから」に応えた「これからは私が蜜子を守る!蜜子と一郎の絆を守る。
一生解けない固い固い絆を守る!」とは、逃げても逃げても獣が寄ってくる美しい「カラダ」という檻から逃れ、二人でも三人、同行三人ともいうべき新たな檻に、自ら入ることなのでしょうか。
「記憶って全て必要なのか?忘れた記憶は必要ないからじゃないか?」
「せっかく忘れている記憶まで無理に思い出したら、精神が崩壊してしまうのではないか?」
第4話で一郎が口にしたようなクライシスも引き起こされてしまうのか。
三人と共に、読者も迷い続けていたラビリンスから、ようやく光りさす方角がみえたのか、さらなる深淵にはまり込むのか。
これまでの物語を繰り返し味わいながら、第12話をお待ちしています。
読んでいて漠然と湧いてくるモヤモヤした感覚が、
ここまで文章化できるものかと驚きます。
そしてこの物語を読む我々は、
いったいどこに連れていかれるのか?
ここまで来たら、どこへ行こうと
もう降りることはできません!