ルサンチマンを元に、相手を社会的に抹殺したり、「被害者」として丁重に扱われる事には、満たされない心を一時的に慰撫するような効果があります。
ただ、これは「強い作用の鎮痛剤」のようなもので、「病巣」に対する根本の解決にはなりませんし、何度も使うと副作用によりかえって体を壊してしまいます。
「つらい症状を緩和するための道具」だったはずの薬剤を濫用して健康を損ってしまう。この皮肉の本質は、本来は「生への活力の希求」だったはずの行動が、結果として真逆の「自傷行為」になってしまう部分にあるでしょう。
マスメディアと大衆によるキャンセルカルチャーは、カタルシス解消のための悪趣味な消費という域を超えて、中毒者による濫用と呼べる段階です。
もはやキャンセルカルチャーは「社会の自傷行為」です。
この状況下において、文春などのメディアは一見すると「クスリの売人」的なポジションにいます。
しかし、もう一段階想像を進めると…
自らの「先の短い寿命」を悟った雑誌というメディアが、社会を道連れにしようと「心中を持ちかける」ために、ひと時だけ快楽を得られるクスリを提供し続け、廃人にしようとしている。
そんなグロテスクな構造に見えてしまいます。
大層な麻薬などでなく、容易に入手できる市販薬であっても、濫用すると人間の心と体は驚くほど簡単に壊れてしまいます。
メディアやSNSで容易に入手できるキャンセルの快感に酔っていると、その先に待っているのは、阿片窟のような退廃と絶望に満ちた、死にかけの社会です。
ダメ、ゼッタイ!
社会に、健康と希望を取り戻して行きたい、生きたい。