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2024.1.16 07:00ゴー宣道場

安倍晋三の空虚な△

奈良市在住のゴー宣ジャーナリスト だふね です。

さて、来月の2月10日(土)は、「第114回ゴー宣DOJO」『安倍政権と以後の政局』が開催されます!
新年最初にして、しかもエンタメ要素たっぷりに生まれ変わった「ゴー宣DOJO」の初回です。皆さん、今すぐご応募を! 新しい横断幕が、あなたをお待ちしております♪

自民党政権は皇位継承問題の解決を長年先延ばしにしましたが、その端緒となったのが安倍晋三であることは、論を俟たないでしょう。(以下敬称略)

https://news.yahoo.co.jp/articles/acaddbc405c7c1bb7e6cd80f461fe388fcae4bf1

2005年(平成17年)11月、「皇室典範に関する有識者会議」は、「皇位継承資格を女性・女系に広げる」「継承順位は直系優先」という報告書を小泉首相(当時)に提出。
小泉は翌年3月の通常国会で皇室典範改正案を国会に提出する予定だったが、2月に紀子さまのご懐妊がわかると、官房長官だった安倍が「改正論議は凍結する」との方針を示し、議論はストップした。
有識者会議の座長代理である園部逸夫(元最高裁判事)は、その前の1月に小泉と食事をした席で、同席した安倍が(改正案提出について)不満げな顔を隠すこともなかったことが印象に残った、と証言している。

「不満げな顔」というところに、私は違和感を持つ。当時51歳の安倍の社交性とは。「自分の不平不満を包み隠し、表に出さない」という配慮ができない人だったのかと。また、それならそれで、相手に納得してもらえるまで自説を「丁寧に」述べられなかったのかと。

もう一つ、安倍晋三の未熟さが顕わになった出来事について論じたい。そのため、このポストを引用する。

2014(平成26年)年4月20日放送(※関東地方と一部の県を除く)の、『たかじんのそこまで言って委員会』に(当時首相だった)安倍がゲスト出演した。
その中で、〇×形式で質問に答えるコーナーがあった。「カレーとラーメンではカレーが好きだ」(超どーでもいい)、「アメリカ各地に設置された慰安婦像は早く撤去してほしい」(嫌韓ネトウヨのウケ狙い)などの質問に、安倍はにこやかに答えていた。安倍は何回も、この番組のスタジオに来ており、緊張感やアウェー感というものを微塵も抱いていない様子。
しかし、「私はお国のためなら死ねる」というズバリな質問が来ると、安倍は微妙な顔つきになり、「◯」ではなく「△」の札を揚げた。そして、口ごもりつつ補足した。

安倍「これは…そんなことは軽々しく言うべきではないと思ってますが、私の親父、安倍晋太郎は晩年ですね、膵臓ガンになったんですが、エー、まさに手術をした後、命を削ってモスクワに行って、当時のゴルバチョフ大統領とですね、交渉して、『北方領土問題、平和条約問題を解決する』という言葉を引き出すことが、できたんです。ま、まさに政治家が命を削っても…エー、成し得る…ウー、必要のあるものはですね、やり遂げるものは、やっていかなきゃいけない、というものを、学んできたつもりではあります

???

自分のことを訊かれたのに、唐突に父親の話を始めるとは。「死ねるか」と訊かれて「〇:はい」か「×:いいえ」ではなく、「△:学んだつもり」?
内心の動揺を隠すことに気を取られてしまって、本音がポロッとこぼれたのだろうか。あるいは本音どころか、人間の生き死にについて、平時でも考えたことがないほど中身が空虚だったのか? 政治家として、一国の首相にまで昇りつめたのに?
まさか、8年後に思いがけない形で死を迎えるまで、ずっと「△」だったとか?

「軽々しく言うべきでない」も、「公衆の面前で、オレに都合の悪いことを訊くな」と、司会(辛坊治郎)に責任転嫁しているようにしか聴こえない。辛坊からすれば、「いつも自衛隊に『死ぬ覚悟』を説いてるなら、安倍さんだって〇ですよねっ!」という期待を込めた質問だったはず。それをうやむやにして避けたのは、「日本のために死ぬ覚悟なんてない」と言っているも同然だ。

そこへ俳優の津川雅彦が、安倍に斟酌するような口調で「総理になった途端に、死ぬ覚悟はできているわけでしょ?」と畳みかける。

安倍「これはあの、あの、死ぬ覚悟はできてると、いま私が言ってもですね、嘘っぽく聞こえてしまうんだろうなと、思うんですが、あのォー、晩年の父の姿を見てですね、そうカンな…簡単なことではないなと、政治という仕事はですね。ということは本当に、認識しましたね」

父親の陰に隠れるのは、もーええっちゅうねん!! 「アナタ、いくつよ?」とツッコミたくなった(※この時59歳)。辛坊も、これ以上の追及は不毛だと悟ってか、

辛坊「なかなかね、死ぬのは大変なんですよ…私もつくづく、ね、あの…まぁ、いいや

と、笑いながらも尻すぼみになっていった。予想外のことで、さぞかし萎えたであろう。

発言内容を文字起こししてみたが、音声が伴うと、煮え切らない様子がよりよくわかる。饒舌で早口。そのわりに声に抑揚がなく平板。「そういえば安倍サンって、いつもこういう喋り方だったかも」と今更ながら気づいた。

あくまで私個人の診断だが、何を喋っても情感が籠もっておらず、通り一遍に聴こえるのだ。眉尻がいつも下がった、あの一見柔和そうな表情も、喜怒哀楽によって大きく変化することがなく、起伏に乏しい。
「美しい国」や「日本を取り戻す」など、統一協会由来のフレーズも頻繁に使用していた。特定の支持者にはウケるであろうが、あまりに上滑りで、心に響かない。この人は、公において自分自身で考えた言葉を放ったことがあるだろうか、という疑念が拭えない。

安倍が揚げた「△」という形も、私は皮肉を感じる。当の本人は直線的な生き方であり、状況や相手に合わせて自分の形を変えるということをしなかった。安倍にとって、向かう先に立ち塞がる障害は自ら突破するものではなく、御託を並べて回避するか、追従する誰かに取り除いてもらうのが当然だった。そして、そういう自分が第三者からはどう見えるかの客観性も持たなかった。つまり「自分」「向かう先(目的・未来)」「第三者の視点」で繋がる三角形を、頭の中で描けなかった人ではないだろうか。

目的を遂げるにはまっすぐに攻めるやり方だけでなく、まず外の方へ行きワンクッション置いてから攻めるやり方もあるが(これも三角形)、安倍は良くも悪くも、そのような思考と縁がなかったかもしれない。直線的にしても、「こう行けばこうなる、ああなる」という予想すら立てられないまま突き進んだように思える。

今を生きる我々が、誰かの人生の終点を思い返し、そこから何がしかの教訓を得る。それは決して、不謹慎なことではないはずである。

 

 


【だふね プロフィール】
昭和48年大阪生まれ。奈良市在住。主婦にして一男二女の母。ケアマネージャー。性格は‟慎重な行動派”‟陽気なペシミスト”(友人評)。趣味は映画鑑賞。特技は、すぐ涙を流せること。令和2年「関西ゴー宣道場設営隊(現・DOJOサポーター関西支部)」隊長就任。以後、現場を持ちながら公論イベントの盛り上げにも尽力。公私ともに濃密な日々を過ごしている。

 


 

 

【トッキーコメント】
現在発売中の週刊ポスト1月26日号に掲載されている、ジャーナリスト・鈴木エイト氏と相澤冬樹氏の対談でも、安倍晋三を地元の人は「いい人だけど中身は空っぽ」と評していたという話が出ていました。
「国のために死ねるか」という質問に「△」を掲げたというのも、まさに「空っぽ」を象徴するものだったと言えるでしょう。
安倍晋三の「空っぽ」問題について、考えるべきことはまだまだありそうです。

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