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笹幸恵
2023.12.20 13:02日々の出来事

「生きる」の本質。

映画『ゴジラ−1.0』を観てきた。
私は激しいアクションとか大音響の大画面が苦手で、
あまりこうしたジャンルの映画を観たことがない。
眼球の奥のほうがジンジンして視覚処理できず、
それに堪えなければならないのだ。
でも『ゴジラ−1.0』は戦時中や敗戦直後の映画だという。
これは観なければ!

ということで映画館に行きました。

いや〜、良かったな。

何が良かったって、戦後が舞台だからって
ぬったりベッタリした生命至上主義を横行させていないところ。
主人公は何度か「生きろ」「生きて」と言われる。
だけどこれは「何より命が大事」という
エゴなメルヘンを全開にしているわけではなく、
「あらゆる不条理を背負って、なお前を向け」
という叱咤である。
「生きる」とは、本質的にはそういうことじゃないか?

そして戦争に生き残った者の苦悩が、
この作品には通奏低音のように流れ続けている。
かといって全編通して暗いわけでもなく、
佐々木蔵之介演じる艇長が
「誰かが貧乏くじを引かなきゃならねぇんだよ」
とあっけらかんと言う。
その日食べていくのに精一杯で、
皆、髪の毛はボサボサ、服もボロボロ、
だけど表情は明るい。
苦悩と明るさの共存、このアンビバレントを
見事に描きだしている。
「生きる」とは、本質的にはそういうことじゃないか?

ゴジラとの対決。
あまりに無謀だ。
だけど、誰かがやらなければいけない。
これを描き出すことは、
大東亜戦争を戦った兵士たちへのオマージュだ。
その歴史的経緯があって、人々の奮闘があって、
今、我々は生きているのだということ。
その縦軸をさりげなく盛り込んでいる。

設定が「敗戦直後の掃海部隊」というのも
個人的にはシビれたな。
日本の周辺には6万個もの日米の機雷が敷設されていて、
これを処理するのが戦後復興の第一歩だった。
掃海部隊は海軍省から復員省、運輸省、
海上保安庁、そして海上自衛隊と、所管は変われど
海軍時代からずっと途切れることなく
続いてきた唯一の部隊だ。
稼ぎはいいが、命の保証はない。
それでも食いっぱぐれるよりはマシ、
いっちょやってやろう、という命知らずの
荒くれ者たちが集まっていた。
もちろんそこには海軍の元兵士たちが多数いた。
彼らは「掃海ゴロ」なんて呼ばれているが、
現在の海上自衛隊の掃海部隊は、それを誇りにしている。

設定が何もかもシブい。
隣のおばちゃん、安藤サクラも
アンビバレントを象徴する存在だ。
復員した主人公に浴びせる罵詈雑言なんか、
今じゃナントカ・ハラスメントと名前がついて
バッシングされるレベルだと思うけど、
これが人間の「圧倒的なリアル」だ。
今はどうか。便利で快適な世の中になって、
人々はより繊細になり、脆くなり、誰もが満たされず、
メンタルヘルスの書籍が花盛り。

ふと大昔に対談した作家・上坂冬子さんの言葉を思い出した。
彼女は言った。

「戦時中は皆が苦労して、大変だったと思うでしょう?
でもね、ヘンな言い方だけど、あの頃は皆、
『生きている実感』があったのよ」

然り。

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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