本日のよしりん先生のブログ
これらの言葉の背景に、どれ程の苦悩や葛藤があったか、特に1994年当時にリアルタイムの読者だった(または、後に初代ゴー宣の該当部分を読んでいる)人には苦しいほどよくわかると思うんです。
単行本だとこの辺り
この時期に起きた様々な出来事はぜひ本編を読んで欲しいのですが、あえて一つ書けば、オウムという異様な団体への恐怖や「宗教弾圧」と言われる事への恐れで当時ほとんど誰も突っ込んで言及できなかった「坂本弁護一家〝失踪〟事件の犯人はオウム」という推察が描かれ、結果としてよしりん先生がオウム真理教に命を狙われ始めたのもこの期間でした。
当時19歳の自分にとって、この時期のゴー宣は「大人への階段」として特に絶大なる影響を受けた作品でもあります。
先生はご覧にならなくて良いですが、今日のブログ内容を、X(旧Twitter)上にて脊髄反射的に叩いている人は、上にリンクを置いた当時のゴー宣を読んだ上で言いたい事があれば、虚空への批判ではなく、それを徹底して肯定する大須賀のアカウントに批判を送ってください。対応します。
みんながみんな「傷ついた被害者ぶりっこ」し始めたら、その社会は誰が「受け止める」のか?少なくとも「いい大人」はみっともない純粋まっすぐモーションをやめようよ。