公論サポーター関西・だふね隊長の
「よしりん独演会」感想を
ご紹介します!!
こんにちは。
改めまして、10/7の「よしりん独演会」、よしりん先生、大変お疲れ様でした。
私にとっては、先生のお話すべてが【遺言】のように思え、会場の後ろでひっそりと、目に涙を滲ませていました。「勝手に殺すな!」と怒られそうですが(^-^; そのくらい、言葉の一つ一つがずしりと重く、小林よしのりの「70年の人生の凄み」を感じたということ。まさに「神回」でした。遅くなりましたが、以下に感想を書かせていただきます。
「自分が年老いたらどんな風になるか、イメージしておいたほうが良い」とのこと、私も仕事(ケアマネージャー)上でよく実感することです。
家族も含めた周囲の人間と、どのような関係を築きながら人生を歩むか。人間は、一人では決して生きられない。個人とは、他の誰かとつながって形成されるもの。
私が今まで出会った高齢者には、家族と絶縁し一人でひっそり暮らす人もいれば、自分の子や孫から衣食住において手厚く助けられている人もいました。我が子から酷い仕打ちを受けて尚、それに甘んじている人も。一言では表せないほど複雑なケースも、たくさんあるのです。
老後には、自分のこれまでの生き様が否が応でも反映されます。私も、家族と心の繋がりが切れる人生は避けたい。そのためにも、子どものことはできるかぎり愛情をもって育てたい。たとえ遠くからでも、成長を見守らせてほしいと願います。
しかし、私は子どもに胸を張れるような、満ち足りた育児をしてあげられたかといえば、まったく自信がありません。未熟さから苛立ちを隠しきれず、子に向けたことだってある。今でも後悔で胸が苦しくなります。
だから、先生のご両親の話も、かなり身につまされました。ご両親の真意はわかりかねますが、先生のおっしゃるとおり、親子の絆とは不思議なものです。子どもは親の他愛ない行動を、自分への優しさや愛情と解釈して、離れられなくなる。
映画『鬼畜』を想い出しました。子が親を希求する力は、親が子を愛する心よりも、おそらく遥かに強い。考えるよりも先に「生きたい」から、親には愛着せざるをえない。幼いなりの生きていくための知恵であり、本能でしょうね。
子どもたちの親として居させてもらえる内は、私自身も成長していかねばならないでしょう。成長やアップデートの機会も自ら放棄するような愚かな真似はしたくない。「君たちはどう生きるか」という問いに対する、これが私の総合的な答えです。たとえゴールが「死」であろうと。「どう生きるかとは、どう死ぬかということ」だから。
他にも、「マスクなしの全体主義(そーいや私も現場にいました(;^_^A)」「ヒガシの号泣会見をプロデュース(!)」「『落ちぶれてすまん』の美学」「男とは何か? フィクション(物語)が必要な生き物である」などなど、本編は笑ってしまうポイントがたくさん^m^ 様々な切り口からどんどんと話が拡がっていくので、1回では消化しきれなかったぁ! よしりん、まぢすげぇ!!(なので、タイムシフトを何遍も見直しました。)
独演会はまた、あるのか? 先生は「安請け合いしない」とおっしゃりつつ、実は3時間では語り足りなかったのではと。自身の言葉をより拡めるための手段を絶えず模索しているように、私には見受けます。それが「歌謡曲を通して日本を語る」などの試みにも表れているのかなと。齢70は、渋沢栄一曰く「働き盛り」。コッキーよしりん、ブラボー!
「人権vs文化」と「キャンセルカルチャー」については、新たなシリーズ『日本人論』でも導入部として描かれていますね。今日発売された第1章を早速読みましたが、実在の人物の似顔絵も含め、今後の展開がメチャクチャ楽しみです(^^)
最後に、よしりん先生、よしりん企画の皆さま、設営メンバーの皆さま、当日は大変お世話になり、本当にありがとうございました。
大須賀さん、あの「ぐんにゃり」な視覚効果がクセになるショートムービー、最高でした(*´艸`*)
そして、へっぽこ隊長の私を激励し、常に厳しくも温かい目で見守りながら、たくさんの助言もくださるちぇぶさんには、心からの感謝を込めます<(*_ _)>
もしも再び独演会があるとしたら、「遺言」第二弾?
それがあるかどうかはともかく、言葉の重みが凄かった、それは間違いなし!
どんどん言葉が軽く、信用できなくなる一方のこの世の中で、ここまで重み凄みがこもった言葉を聞けることはめったにありません!
始まったばかりの新たな挑戦、『日本人論』や「歌謡曲を通して日本を語る」、そして今後の公論イベントにもぜひご期待ください!