『SPA!』(10/10・17号)で、倉山満が 嵯峨天皇”推し”の記事を書いている。 自身が今月末に古代史の本を出すというPRに加え、 こんなふうに綴っている。 「現代の皇位継承問題を論じる際に、 古代史の正確な知識が無く、 議論が歪められる場面に何度も遭遇した。 そこで、『私だって知っている』レベルの 古代史の常識をまとめた」 「古代史の正確な知識が無い」のは誰なのか、 主語が判然としない。 普通なら「私に古代史の正確な知識が無く」と読める。 ならば「学べよ」と思うのだけど、 なぜか倉山は自分の知っている常識をまとめたと 書いている。ということは、 「自分以外の人に古代史の正確な知識が無く」 と言いたいのかな? それなら「専門外の俺様だって知っているレベルの 古代史をまとめといたから勉強しろよ」という 後段としっくりくるね。 もっとも、こうして読者の判断を 迷わせる時点で悪文だけどね。 さて、その後「本に書ききれなかったことを書く」と 言って、最初から最後まで嵯峨天皇の”推し”記事だ。 この中で指摘しておきたいのは、次の3点。 ①嵯峨天皇は上皇側近に情報を漏らさないよう 蔵人頭を設置した。 これを倉山は 「内閣官房への権限集中とインテリジェンス機能の強化である」 と述べ、さも現代に通じる手腕を発揮したかのように綴っている。 えええ?何ですか、これ。 現代のこと、ちゃんと把握している??? 内閣が人事権を掌握して官僚が忖度するようになり、 森友問題で公文書改ざん、近畿財務局の赤木俊夫さんが 自ら命を絶ったではないか。 現代の事象を盲目的に善として、 歴史の事象をそれと勝手に結びつけて、 「ホラ嵯峨天皇すごいでしょ」って、 歴史家としてはありえない態度だが。 ②嵯峨天皇は「薬子の変」以後、死刑を廃止した。 これを倉山は次のように綴っている。 「EU諸国など、今さら『死刑を廃止していない国は 文明国ではない』などと加盟条件にもしているが、 我々からしたら千年以上前に終わった話をされても 困るとしか言いようがない」 まったく無駄なマウント取りとしか言いようがない。 今度は、死刑制度がある現代日本を完全スルー。 自分に都合よく歴史を切り取る倉山の真骨頂としか 言いようがない。 ③嵯峨天皇は律令を一字も改変せず、 実質的な憲法改正(運用の変更)を行った。 これについての倉山の言。 「現代風に言えば、憲法典の条文はそのままに、 恣意的な解釈を防ぐ解釈集を整備、附属法の制定により 不備を補ったことになる」 はああ、これは①に戻って、嵯峨天皇は 現代にも通じるような先進的な手腕を発揮したと? しかし憲法の条文はそのままに、解釈改憲だけで やってきた戦後日本がどうなっているのか、 ちょっと考えればわかるではないか。 解釈集が必要な憲法など、褒められるものではない。 (もっとも嵯峨天皇の時代にはその当時の時代背景や 価値基準があったはずなので、現代の解釈ありき憲法が ダメだからと言って、嵯峨天皇の解釈集がダメだとは言えない。) この記事からわかるのは、倉山がとにかく 知識自慢をしたい(マウントを取りたい)ということと、 現代のやり方(事象)を無条件に肯定し、 それを過去に当てはめて嵯峨天皇の賛美に使うという、 およそ歴史家とは思えない思考回路をしているということだ。 ムチャクチャだ。 ちなみに、公論サポーターのL.Kさんが 【論破祭り】倉山よ!誤記が目立つ! 天皇の業績くらいちゃんと正しく書け! https://aiko-sama.com/archives/30460 というブログをアップしている。 常識のある編集者がきちんとチェック機能を果たすしか、 手はないと思うが? 雑誌なら、当たり前のことだと思うが? それで倉山クン、 皇統問題はどこ行っちゃったんですかね? 嵯峨天皇に関する知識自慢ができれば、 それでいいんですか? 本当に真面目に考えてる?
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前の記事へこれのどこが「保守」なんだ??
脳内がずんだになってしまった。次の記事へ