…いやー、小学生の頃の私ね。太ってた上に運動がからっきしダメ。おまけに変な所で理屈っぽいので、今で言う陰キャ&非モテコースまっしぐらでしたよ。
そんな頃にちょうどデビューして、女子の人気を一気にかっさらって行ったのが「光GENJI」でした!
「ソーセージがどうした」どころか(おい)、光GENJIはTVCMでチンチンポテトとか言いまくっていましたが(おいおい)
思えば、自分たち男子はおなじ頃に始まった「おぼっちゃまくん」を読んで「ともだちんこー!ギャハハハー!」って言いまくってました。
まあ、何かと「ダンケー珍々」に寛容だった昭和末期です(アカン、キャンセルされそう…)
ゴホン、閑話休題!
高学年と言えば女の子への興味が膨らみだす時期。そんな中で、女子がみんな光GENJIにキャーキャー言ってるのが疎ましく、男子の有志(主に色々こじらせている)数名で「光GENJI反逆同盟」というのを結成し、アンチ活動を開始したのです!
…まあ、そこで何をしたかと言えば、休み時間や掃除の時間に光GENJIの話をしている女子に「へへーん!なんだい!」と茶々を入れて諍いを起こすとか、そんなもんでした(今思うと、これはむしろ男子と女子の仲よかったのかも)。
さて、「光GENJI反逆同盟」は極めて幼稚な(まだ恋愛も、その他あらゆる面倒ごとも体験する前の)ルサンチマンの産物でしたが、もしかしたら世にはびこるキャンセルカルチャーの背後にある精神性って、この小学生の嫉妬心と変わらないレベルなのでは?と感じています。
もし現在の日本が、それほど共感性に溢れた世間であるならば、文藝春秋の「佳子さまからの警告」の記事などで報じられた、皇族の皆様の状況に大きな反応があるはずだもの。
ノイジーな声の大半は、「困難な状況にある人に共感し、力を添えたい」のではなく、大義名分のもとに何かを壊して溜飲を下げたいという幼稚な破壊衝動と同じではないでしょうか。
それらが「キャンセル」しようとしているものは、人間のあらゆる情動と、それを背負った上での葛藤や選択といった「人間くさい生き様」そのもののように感じます。
自分の人間くささと向き合った上で物事を選択する勇気を持てず、それを誤魔化すために外部の「倫理っぽいもの」にすがって正当化する。キャンセルカルチャーの「正体」は、そんな部分にあるような気がしてなりません。
さしたる思い入れや覚悟なくジャニーズキャンセルに走っている人。「光GENJI反逆同盟」だった小学生の私との違い、明確に言えるでしょうか?