沖縄最終日は、読谷村の戦跡めぐり。
その一つがこちら、特攻艇秘匿壕。
比謝川の河口。
このあたり一帯は、米艦船がぐわ〜〜〜ッと押し寄せた地域。
個人の敷地なのか、河口付近は金網フェンスに囲まれている。
が、「通行止め」とプレートがかかっている入口が半開き!
しめた!
そのまま入っていくと、河口に面した岩場に秘匿壕がありました。
注)その後、ここで船の修理をしていた人を発見してちゃんと挨拶したよ
陸軍の特攻艇「マルレ」を擁する部隊が
この地で壕を掘ったようです。
しかしなあ。。。
村の教育委員会がちゃんと説明板を立てているのは
いいのだけど・・・。
過去の過ちを学ぶ・・・。
なんだ、それ。
具体的に何が過去の過ちなんだ?
マルレを開発したことか?
マルレによる特攻作戦のことか?
沖縄戦のことか?
それとも戦争全般か?
ふんわりしていてナゾすぎる。
とりあえず、こうした一文を入れなければ
沖縄では戦争遺跡を示す説明板も立てられない、
その「世間」だけは厳然としてあるのだな。
比謝川河口
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