法人としての社全体ではなく「朝日新聞」というメディア単体でみると、もはや破綻していると言っても過言ではない状態。質の劣化と経営状況の悪化、どちらがタマゴでどちらがニワトリなのか…おそらく両者の(マイナスの)相乗効果でしょうが、もう手遅れなのかもしれません。
こちらは、1996年に描かれたゴー宣の一コマですが(最近では単行本「慰安婦」に収録)
呉智英氏のニヒルな言に従えば、朝日新聞は結局「正義ぶりたい」読者のマウンティング欲を満たすための記事作りから抜けられず、皮肉なことに結果として「商売」としても破綻してしまった…というのが現状だと思います。
この「マウンティング欲という読者のニーズを満たすための記事作り」、ある意味「マーケティング」的には「正しい」んですが、それが「商売としての破綻」にもつながる皮肉。
これは「ニーズ」というものの誤解から生まれやすい不幸なのかもしれません。
ニーズは(本能・生理的なものを除き)普遍的・自然に最初から存在するものではなく、突出した才能によって提示された「価値」の結果として「生まれる」もの。
ポリコレやキャンセルカルチャーは、まさにこの「突出」を潰してしまう存在です。
少なくとも、本日の天声人語の執筆者氏には、自らの言説が「緩慢なる自殺」であるという自覚はないのかもしれません。