先日、私・時浦はブログで「非国民」という言葉を使ったとして、非難を受けました。
「トッキーさん自体は好きだけど、たまに暴走する」だそうです。
しかし、私は「性の多様性が理解できない者は日本人に非ず!」と書いたのであって、「非国民」という言葉は使っていません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/41653/
そもそも「非国民」とは、『はだしのゲン』に描かれていたように、全体主義体制に従わない者を問答無用で「村八分」にするための言葉であり、現代ではこれを使ったら即座に「非寛容な悪人」と見なされる言葉です。
私も子供時代に『はだしのゲン』を読んで、ゲン一家を「非国民」呼ばわりする町内会長を見て、こんな大人にだけはなりたくないと思ったものです。
一方、「日本人」とは何でしょう?
日本の歴史やそれに伴う文化を身に着けている者が日本人です。
単に日本国籍を持っているとか、日本の領土内で生まれたとかいうことだけでは、日本人とはいえません。
別に歴史のお勉強をしなければならないということではありません。なんとなく感覚として「性の多様性」を理解しているのが日本人だ、と言いたかったのです。
キリスト教的価値観を至上価値として、日本古来の価値観を否定している人は、もはや日本人ではないと言いたかったのです。
グローバルな価値観などありません。
価値観は国ごとに違い、それを身に着けている人が「国民」なのです。
フランスの歴史や文化を身に着けていない者はフランス人に非ず。
アメリカの歴史や文化を身に着けていない者はアメリカ人に非ずです。
アメリカは歴史が浅いから、キリスト教原理主義に引っ張られやすいのですが。
実は私は、先のブログを書く際に、挑発的にわざと「非国民」という言葉を使おうかと、一瞬考えました。
しかし、要らない誤解を生みそうだと思って「日本人に非ず」という表現に変えたのです。
ところが、それでも要らない誤解を生んでしまったようです。
「非」という一文字を使ったがために、時浦はたまに暴走して『はだしのゲン』の町内会長のように「非国民」という言葉を使う人物だと思われたようです。
では、「性の多様性が理解できない者は日本人ではない!」ならよかったのですかね?
いや、「性の多様性が理解できないお方は、果たして日本人といえるのでしょうか?」くらいまで薄めておいた方がよかったのですかね?
ゴー宣読者なら、これくらいの言い回しは理解するだろうと思って書いたのですが、どうやら、そういう感覚に甘えてはいけない状態になってしまったようです。貴重な経験をさせていただきました。どうもありがとうございます。