お盆ですね!
8月入ってすぐに子どもがキャンプから40度の熱で帰還し、そのまま私も知らぬ間に40度になっており(気づかず仕事してたよね)、ドロドロの日々がやっと落ち着いてお盆ですね!!
先週の配信では、近代日本「忖度」の構造と遺伝子の後編として、「枢密院」を入り口にその表裏としての「司法」の規定のされ方とともに、日本が近代化していく上で積み残さざるを得なかった問題群を論じました。
個人的な関心として、枢密院は「憲法の番人」と言われていたわけですが、戦後の憲法の番人て…最高裁ですよね。じゃあ日本が近代化した中での「司法」っていったい何してたん??というところです。
端的にいえば、明治憲法下の「司法」は、君主(主権者)と協賛関係で一体となった議会を含めた「立法者」からは一段下の存在です。「司法」は民事・刑事事件の紛争処理機関です。つまり、学説で種々議論はされたものの、憲法に法律が適合しているかを審査するいわゆる「法令審査権」は認められていなかったし、いわんや「憲法裁判」や違憲立法審査権は認められていません。
じゃあ憲法争議?を担った枢密院が「憲法の番人」として機能したかといえば、配信中でも追ったとおり、「第三院」と言われた枢密院は政治の当事者ど真ん中の存在であり、第三者的はおろか、憲法争議を解決する能力としても立場(利益相反関係)としても全く立憲的に機能しませんでした。
すなわち、立憲的体制の核心である憲法適合性を審査する機関が「不在」だったわけです。
はい!戦後です。
枢密院は廃止され、「司法」は残ったものの、新たに「違憲立法審査権」が付与された、とされました。
つまり、違憲審査や憲法裁判機関としてのプレイヤーがポッカリあいてしまった戦前の枢密院・大審院という構造から、枢密院だけがいなかうなり、その全てを戦後「司法」が担うことになった、といえるのか??が問題です。
日本国憲法制定過程のこのあたりのやりとりを見ていると、戦前からの「司法権は立法に口だすべきでない」という流れがそのまま流入しています。
そもそも、下級審には憲法判断はできず、下級審は憲法訴訟が来た場合はすべて最高裁に投げて最高裁が例外的に憲法判断するという前提で制度設計が進められていました。
つまり、立法権優位思想(cf 美濃部)を前提に、「明文」の「例外」としての最高裁(司法権の本質や裁判の独立を根拠としていない!)という司法像です。
GHQからの提案は下級審も含めた司法への違憲審査権の付与であったのに、日本側の翻訳では、最高裁のみの違憲審査を前提として起草を進めます。これに対してGHQから、最高裁だけが違憲審査が可能という訳になっており、英文とズレていると指摘が入り、現行憲法81条の文言に修正したものの、このときの芦田均の弁明もすごい
「単なる字句の修正でありまして、その内容に於ては変更はない」(芦田均委員長)
「安心してください、パンツはいてますから」くらいの感じですよね。
こう見ると、戦後日本国憲法体制の司法は、戦前とガラッと変わって違憲審査制が導入されて憲法裁判権も認められてーーーー、というのとは全く違う、司法像が浮かび上がってきます。
そう、戦前のめちゃめちゃ肩身狭くいさせられていた民事・刑事の紛争処理機関としての司法に、形式的・例外的に「単なる字句の修正」レベルで違憲審査権がポコっと付け加えられたのが日本国憲法下の「司法権」です。
枢密院に期待され機能せず、そもそも司法には憲法裁判が予定されていなかった戦前とほぼ変わらない制度設計て、全然機能として反省してなくない??
戦後も憲法的統制という守備範囲はそのままエアポケットのようにポッカリ空いているということです。
京大の憲法学者で貴族院議員でも会った佐々木惣一が戦後すぐに、
「今度の憲法案では司法権と云うような言葉でなしに、裁判権と云う言葉にすべきであったと思う、そうすると従来の司法と云うことは民事、刑事の裁判と云うことに限られて居った、それに対して更に凡そ一切の裁判、それは憲法裁判も今ありますが、行政裁判もあると云うような裁判権と云う風にしたらどうであったか」(1946年第90回帝国議会貴族院議事録)
と語るとき、戦前からの憲法裁判がアプリオリに引き算された「紛争処理機関」としての「司法権」が前提とされるのは、戦後民主化・法治国家化される日本において適切ではないのではないか、という問題意識を明らかにしているわけです。
また、戦後最高裁判例がアメリカの1803年マーベリーvsマディソン判決以来違憲審査が確立しているという”型どおり”の文句で違憲審査を根拠づけたことに対して、東大の宍戸常寿先生は、以下のように厳しく指摘します。
「この程度の基礎づけでは依然として制度の在り方が規定されていないと言っても、過言ではない。わが憲法学が制度としての違憲審査権の活用を目指すならば、「憲法」や「司法」の観念に踏み込んで制度の理解を新たに構成しなければならなかったように思われる。」
そしてまた、憲法学についても
「「憲法」の規範内容を「法的なもの」としてとらえるよりも、政治の現実に対抗する「理想的なもの」として開いていく営為が、「抵抗の憲法学」によって熱心に追求されたように思われる」
とし、
①日本国憲法の「開放的スタイル」+②自由法論による裁判官の法創造の強調+③新「準拠国」アメリカにおける司法消極主義の建前の移植=「広汎な利益衡量による過度の憲法の開放性・憲法解釈の不確実性が学説上も前提された。ここでは基本的人権といえども所与ではなく、合憲的な法律からの引き算として、ようやくその姿を現すに過ぎない。」(宍戸常寿『憲法裁判権の動態』)
と、日本国憲法における「憲法」「司法」「裁判」を根源的に再定位する必要性を論じているんですね。非常に本質的な問題提起であると受け止めます。
戦後司法が、警察予備隊訴訟や砂川判決での統治行為論など、まだ「生煮え」で変革し得た「司法権」を無力化する方向で具体化・固定化したのは指摘するまでもないでしょう。
なんだか、近代化した気になって司法権にも憲法上の判断でいろいろと期待しているところがありますが、そもそも立っている前提が全く違うのだということに気づかされました。
明治に流入してきた規範は生命力強すぎですね。それがなぜなのか、ということについても、まだまだ勉強が必要ですが、めちゃめちゃ面白いので、続けたいと思います♪
よしりん先生のおはヨーグルトのオマージュとして「おやすうみついん」て言って番組締めましたが、使われそうな予感ゼロだよね☆
お盆の最後に、ぜひご覧ください📺
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