18〜19歳ぐらいの頃、上京したての自分は、寮に住み込みながら工場で働いていました。
まだネット普及前で、常に何か読んでないと死んじゃう生物だった私は、新刊本(もちろんゴー宣単行本は新品購入。まだ差別論スペシャルが出る前ぐらい)はもちろん、古本屋で買った本(これが大半)、拾ってきた雑誌まで大量の本を2人部屋の半分に山積みにして、そこに埋もれて生活していました(ちなみに相部屋だった男は、20代だけど歯がほとんどなく、時々闇金ウシジマくんみたいな輩が急に部屋に来て殴られていて、日頃から動く度にうめき声を発する、それでいてなぜか予備自衛官登録している謎の人物でしたが、ネタが濃すぎるので別の機会に)。
そんなある日、新しい工場長が赴任して、その直後に次のような勅語が発せられました。
「君たちは文化的レベルが低いので、工場長お勧めの本を読みなさい」(意訳だけど「文化的レベルが低い」は一字一句そのまま言われた)
先述の通り、本の虫だった自分は、海外事業系の部門から移動してきた文化的レベルの高い工場長殿がどんな本を勧めてくださるのか!胸に弾けそうな期待を抱きながら、食堂に張り出されたリストをチェックしました。
まず、輝かしいイチオシの本は…「にんげんだもの(相田みつを)」とりあえずコメント避けます…
…で、2位以下の本は(1位も?)いわゆる「自己啓発本」ばかりで、もうほとんどの書名は忘れてしまいましたが、当時本屋で平積みになっているタイトルが目白押しだったと思います。
??????になりつつも、非常に生真面目な自分としては当時の手取り13万円程度の収入の中からそれらを自腹で購入して(今でも、本は嫌いそうなものも含めてとにかくまず「買って読む」。だけどAmazonさん、買って熟読してるからって倉山満の本をやたらと勧めるのやめて(^^;))何冊か読んでみて、具体的内容はもう本当に綺麗さっぱり忘れているんですが、複数の本に共通して感じたのが
「んー、…真っ向から否定できない「良い事」ばっかりが書いてあるなあ」
という事でした。
…完全なる余談。文化的レベルの高い工場長殿の指揮下で動いていた工場は、ニュースや新聞に出るレベルの不祥事を起こしてしまい、私は「マスコミには何も喋るな!」とストレートな箝口令を出される貴重な体験もするのですが、これも別の機会のネタに(笑)
…さて、そこから四半世紀以上の時間が流れ(その間の色々なネタはこれまた別の機会に)、Amazonで名前検索すると、分野は違えど谷田川ナントカさんよりは多くの著書がヒットするぐらいは(←うわぁ…我ながら最低のマウンティング(笑))出版に関わってきた現在の自分から見ると
「当時感じた事は、まさに「自己啓発本」の基本構造の一つだったんだなあ」
と心底感じています。
他の文筆業の方のやり方をほとんど知らないのですが、私が「書き下ろし」で書籍企画を作る場合、真っ先に作るのは「目次」(=構成)です。
そして、仮に自分に「自己啓発本執筆の執筆依頼」が来たとして(なおかつ、今よりストレートに堕落していたとして)、なるべき手抜きで(笑)、既に評価の定まっている(=マーケットがある)テーマを利用して目次を作るなら、「教育勅語」は既に完成しているモチーフとして大変都合が良い存在となります。
これは、題材としての意味に加え、言葉を選ばずに言えば「今後も内容の薄い商品を買ってくれるカモ」を選別する「マーケティング資料」にするのにも非常に向いているんです。
「教育勅語は「商材」としてオイシイ」のがとてもよくわかる。
…色々とシビアな領域に来たので(笑)さらに続きます!