戦前の反省として、あるいは赤軍派の総括リンチ
殺人の分析として、さらにオウム事件の反省として、
日本人は「個の確立」が出来てないと言われた。
西洋人は個が強いが、日本人は個が弱くて、組織に
埋没してしまう。
日本人は世間がルールであり、世間が全体主義の
単位だから、個が育たない。
コロナ禍でも、日本人の反応は、法律よりも、
世間のルールに従い、自粛を他人にも強要した。
個が強い者がこれに反発していたのかと思って
いたが、やはりそうでもなかった。
個人で公に主張できるかと言えば、顔出しは
できない、会社の目がある、有名になりたくない、
訴訟は恐怖と日本人は思うらしい。
スラップ訴訟が流行るのも、日本人の脆弱な個を
揺るがすからだろう。
「王様は裸だと言えるのは、王様に睨まれない
匿名という条件があるときだけだ。」
だからTwitterが流行る。
わしはもう、この日本人の匿名根性を否定しないし、
日本人は永遠に個の確立なんて出来ない。
だからこそ王様は裸だと言って、何度でも名誉毀損
で訴えられるわしが必要とされるのだ。
本当はわしが必要なくなる時代が来るのが一番
いいのだろう。
だがそんな時代は未来永劫、来ないのだと、最近
分かった。
諦めるべきことは、さっさと諦めないと、人生の
期限切れは間近だ。
まだやるべきことに集中しよう。