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大須賀淳
2023.5.28 16:12ゴー宣道場

惑溺・エコーチェンバーについて抽象的な考察

いやー、昨日(2023/5/27)のゴー宣道場「保守とリベラルの間、憲法と平等」は凄かった!

 

あまりに多岐にわたる事柄へ脳を使いすぎたせいか、今朝は詳細は思い出せないけど異様に複雑な夢にうなされて「わーっ!」と叫んで飛び起きてしまいました。

 

自分でもブログで掘り下げてみたい事が一日で山ほどたまったのですが、まずは先日倉持さんの配信 「このクソ素晴らしき世界」#90でも出ていた「惑溺」という言葉。

 

惑溺
ある時点における価値基準を絶対視すること、固定的な閉鎖社会において、自らの思考や価値判断を絶対化すること。

 

この惑溺の、現代における具体的な表出形態の一つが、いわゆる「エコーチェンバー現象」です。

 

エコーチェンバー現象
SNS上などで、価値観の似た者同士が交流・共感し合うことにより、特定の意見や思想が増幅する現象。

 

この「エコーチェンバー」というのは、音に残響をつけるための設備・機器の事を指し、似た価値観や意見が閉じたハコの中で響き合う事を例えたのが「〜現象」というわけですね。

 

今回は、あえてこの例えの対象である「本物のエコーチェンバー」について掘り下げることで、惑溺のもたらす作用についての抽象的な考察を試みてみます。

 

元来、エコーチェンバーと言った場合には、いわゆる「エコールーム」の事を指しました。コンクリートなど硬い素材の壁、床、天井で音が反響しやすいようになっており、ここにマイクとスピーカーを置くことで、他のスタジオで録音する音に残響(リバーブ)を足すという、かなり大掛かりな装置です。
Photo:Henry Mühlpfordt

 

1970年代以前頃までは、名門とされるスタジオにそれぞれの個性を持ったエコーチェンバーがありました。真偽は不明ですが「NHKが内幸町にあった頃の非常階段は響きが良くて、夜中にエコーチェンバー代わりに使った」なんて噂を聞いたことがあります。
※写真はイメージです

 

ただ、けっこうな広さの専用室を作るのは費用の面でも大変で、時代が進むに連れ、箱の中に鉄板を吊るして残響を作るタイプ(プレート・リバーブ)や、
Photo:EMT-Archiv-Lahr

 

現在でも一部のギターアンプなどに入っている、バネの作用で残響を作るタイプ(スプリング・リバーブ)などコンパクトなものも普及し、
Photo:Ashley Pomeroy

 

現在は、コンピュータによるシミュレーションであらゆる響きを再現するのが主流となっています(画像は、ビートルズが使ったアビーロードスタジオのエコーチェンバーを再現するソフト)。

 

さて、こうした「音響機器」としてのエコーチェンバーが生まれるはるか昔から、世界のあらゆる場所に巨大なエコーチェンバーが存在しました。それは(主にキリスト教の)「聖堂」です。

 

石材を中心とした硬質な素材と高い天井は非常に深い響きを生み出し、聖歌やパイプオルガンなどの音楽に限らず、司教の説教に至るまでがただならぬ神秘性を帯び、己とGodとのつながりを確信できる陶酔へと導かれます。

 

音響的な意味でのエコーチェンバーも、楽曲への惑溺を喚起するための装置という性質があり、社会学的な意味での「〜現象」と本質は驚くほど似ているのかもしれません。

 

さて、こう書くと、聖堂の美しい響きを「洗脳装置」のようなうがった視点で見る御仁もおられるかもしれません。その要素はゼロではないにせよ、実は「エコーによる陶酔」には、もっと他の機能もあるのです。

 

またレコーディングスタジオに話を戻すと、ヴォーカルの録音を行う際、ヘッドホンに返すヴォーカリスト自身の声にはほとんどの場合リバーブ(エコー、残響のこと)をかけて響くようにします。その音を録音するわけではなく、ヴォーカリストは自分の声が響いた方がより気持ちよく歌え、パフォーマンスの向上につながるのです。

 

ちょっとこじつけめいて聞こえるかもしれませんが、ヴォーカル・マジョリティが意見を発する際にも、多少なりともエコーチェンバー効果(賛同)がなければそもそも発言を止めてしまうでしょうし(Twitterでずーっと「0いいね」みたいな状態(笑))、賛同で気持ちが高揚することから、より思想が進んで行くことも多いでしょう。

 

ここでもっとも大事なのが、保守の肝要「バランス感覚」です。

 

レコーディングでは、エコーのかかっていない音を「ドライ」、エコーなど効果のかかった音を「ウェット」と呼びます。

 

DRY
なるべく中立的・客観的な視点から、冷徹に自己の言論を分析する姿勢

 

WET
人との(様々な「ウェット」も含んだ)関係性の中で構築される価値観

 

このバランスを適切にとることが、ヴォーカルのパフォーマンスも向上し、人々に届く歌声(言論)も伸びやかな心地よさを持ったものになる

 

例えば「論破祭りをやっている連中はエコーチェンバーの中にいる!」と言われれば、それ自体は正解、というか当然の事でしょう。

 

それを、SNS上などにとどまらず、イベントの開催や、そしてあらゆる場での「細かな啓蒙」といった生身での行動もひたむきに進めることが、DRYとWETのバランスをコントロールする行為そのものにもなるのでしょう。

 

こうやって書き出してみると、やはり抽象的でもあり、同時に意外なほどの具体性が含まれているような気もしています。
大須賀淳

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