政治や憲法論が巷で語られるときに必ずでてくる、「国民は憲法改正を望んでいない!」「国民の●割が賛成している」「最後は主権者国民が判断することでございます!」といった言説。
このときの「国民」て誰なんでしょうか?
政治的スタンスに応じてその主張のために引っ張り出され、援用され、はたまた「捏造」される「国民」、そして「主権者」。
「主権者教育」「主権者不在」「主権者による審判」etc…日々目にしますね
今週水曜の倉持の配信では、私の師匠でもある憲法学者の駒村圭吾先生をゲストに、先生の新刊である『主権者を疑う』(ちくま新書)を素材に、スコラ哲学の時代からトランプ、安倍・岸田、立憲民主党の時代までを駆け巡りつつ、実はとっても”扱いづらく”て”コワイ”「主権者」概念をどう飼い慣らし、一方で、我々自身はいかなる「主権者」でいるべきなのか、これまた一度立ち止まって考え、論じてみたいと思います!
駒村先生とは、慶応の「リベラリズム」についての共同講座を担当させていただいたときにはロールズやサンデル、幸徳秋水や三島由紀夫からベートーベン、はたまた欽ちゃんまで登場して大変賑やかでしたが、今回はいかに?!
明日20時です⌚是非ご参加ください。
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▶ https://www.youtube.com/watch?v=fPNsuMMGBOY