ゴー宣DOJO

BLOGブログ
笹幸恵
2023.5.17 12:57日々の出来事

古代は「双系社会」だった日本。

このブログでも以前紹介したことがあると思うが、
義江明子氏の『女帝の古代王権史』(ちくま新書)は
非常に勉強になる。
私は何度も目からウロコが落ちた。
歴史に対する真摯な姿勢に、まずもって感銘を受ける。
序章の一部分を紹介しよう。

古代に女帝が多かったが、それらは「中継ぎ」「例外」と
見なされていることに、義江氏はまず疑義を呈している。
いわば本書の出発点だ。

女帝は六世紀末から八世紀後半にかけて八代六人が
集中している。六〜八世紀の倭/日本には、
女の王を普遍的に生み出す条件があり、
八世紀以降はそれが失われていったとみなければならない。
その条件と、それがなぜ失われていったのかを
明らかにすることが、歴史学の課題だろう。
同じ時期の男帝の数もほぼ同じなので、男女の割合は
半々ということになる。つまり古代においては、
女帝の存在は例外ではなく普遍だったのである。


その上で、結論の大枠を次のように続けている。

女帝を普遍的に生み出した条件とは何か。
それは双系的親族結合と長老原理である。
(中略)
厳密な父系社会では、父系でつながる一族は
同じ姓を称し、一族の内部での婚姻は禁じられる(族外婚/同姓不婚)。
婚姻を通じて、異なる一族と社会的に結びつくシステムといえよう。
中国は典型的な父系社会だった。父方の親族だけが社会的に重んじられ、
地位の継承は男子の血統を通じてのみ行われるのである(男系継承)。
それに対して双系的親族結合を基本とする社会では、
父方と母方のどちらに属するかは流動的で、
父方母方双方の血統が子の社会的・政治的地位を決める上で
重要な要素となる。人類学的な知見によると、こうした社会は
東南アジアから環太平洋一帯に広がりをみせていて、
日本列島もそこにつらなる。古代の倭/日本は、もともと
双系社会だったのである。
中国のような族外婚/同姓不婚のルールがないことは、
倭/日本の社会の大きな特色である(現在に至るまで)。
古代の王族男女は、父方母方の区別なく濃密な近親婚を
くり返した。それにより双系社会での一族の絆を強め、
権威と権力を高めていったのである。

その上で、当時は先進文明国だった中国をモデルに
国家を形成していく過程で、父系原理が、
(本来は全く異なる親族原理の社会に)接ぎ木されて
いったとしている。

「接ぎ木」という表現は秀逸だと思う。
もともとそうでないところに父系原理が加わっているから、
この部分ではシナの影響、この部分はオリジナル、
みたいな社会になっているのだ。
結婚をみれば一目瞭然。
私のまわりでも、同姓で結婚した人がいる。
仮に鈴木さんだとして、
「へー、結婚しても鈴木さんのままなんだねwww」で
終わりである。
厳密な父系社会ではあり得ない現象だ。

日本は外来の宗教も文化も日本風にアレンジするというか、
ふわっとした空気に包んで都合よく解釈(変更)したり、
あるいはそれに和風エッセンスを加えて定着させたりする。
どの国でもそうなのかもしれないが、
そもそも「受け入れる土壌」があり、
その土壌に合わせて、外から来たものが長い時間をかけて
変化していくのである(だから定着する)。
ならば、その土壌とは何かを考えることが、
「日本らしさとは何か」を考えることにつながるはずだ。

その土壌について考えを巡らせることもなく、
ただ中国からきた父系原理(男系継承)を
信奉するのが男系固執主義者だ。
「これが伝統だ!」などと声高に叫び、
「伝統を知らないヤツはこれだから」と
マウントを取るにいたっては、滑稽ですらある。
少しは脳みそを使え。
本当に国家の行く末を憂うなら。
本当に日本を誇りに思うなら、な。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

次回の開催予定

INFORMATIONお知らせ