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倉持麟太郎
2023.4.22 11:02

【”上書き保存”民族ジャパン】

今週の #クソすば は、幕末維新の時代に民間で興った私擬憲法と自由民権運動のダイナミズムとその衰亡、そして「音楽」を例に同時代に法制度ではなく「文化」の側面から我々の社会的言語を「まるごと上書き保存」した急進的変化が与えた影響を通じて、日本人のアイデンティティに迫りました。
私擬憲法としては、嚶鳴社、植木枝盛、五日市憲法などは有名ですが、忘れられた私擬憲法たちにもフォーカスしました。
宇賀地新八、竹下彌平、田村寛一郎などなど、墓守から商人、はたまた新聞への匿名投書によるものまで、市井の人々が憲法と国家構想を自分の手で作ろうとしていた。
その中身は日本国憲法の内容から一歩進んだ、皇帝リコール、抵抗権、死刑廃止、などなど、バリエーションがすさまじい。
幕末の藩士たちが受けた教育レベルの高さと、「近代化によって」ではなく自分たちの頭で「この国のかたち=constitution」を考えた人々のアイデアは、現代の日本国憲法よりも民主的かもしれない。
あと気づくのは「天皇」の論じ方がとても自由かつ多様だったということ。
明治以降の天皇像によって、我々はかなり強いステレオタイプを持ってしまっていますね。
戊辰戦争後デモクラシーとしての自由民権運動及び結社が、それぞれの「身分」という袋から放り出された人々の「政治参加の欲求と不安&孤独」という相反する情念の受け皿として機能しつつも、「参加=解放」型幻想を人々に与えることによって動員をかけた(今の新興宗教や陰謀論にも通ずるよね)という松沢裕作先生の構造分析も大いに役に立ちました。
そして、同じ時代に、「近代化」の名のもとに法制度よりもさらにドラスティックに「文化」が書き換えられます。
「社会」「個人」「駅」など、新しい言葉が創作されたのと同じように、「音楽」も明治にできた言葉。「音曲」などはありましたが、「音楽」なるものは当時の日本にはなかった。「日本音楽」というものがあって、「西洋音楽」にとって代わったのではないのです、「音楽=西洋音楽」といういわば外国の音楽言語に文化を丸ごと書き換えてしまったわけです。公用語日本語から英語にするようなもんです。
しかも、西洋音楽は軍隊の行進などのためにとりいれられたのであり、文化ではなく「制度」として輸入されたんですね。そりゃ文化として血肉にならないよね。洋服、靴、絵画もすべて軍事「制度」のために輸入されました。
それでもそれを文化にしようとして闘った人達の物語もいくつか紹介しました。それらを悉く潰していった日本社会。
法制度は「漸進主義(徐々に変えていく)」をとったくせに、一般市民社会における文化は急進的に激変させ、しかも上書き保存しちゃったんだね。まるでその前の文化なんかなかったかのように。
これは現代社会までずーーーーーっと同じです。マスク当たり前社会の前の社会、思い出せますか?
反安倍・自民の立場から「新しい生活様式」に反感持っていた人も、もうすでに上書き保存されてません?
そう、私たちは上書き保存民族です。その自覚をもって、自分たちの生きている一瞬一瞬をきちんと「名前を付けて保存」していきませんか?
今回も、ベートーヴェン、幸田延、ヒュースケン、永井荷風などなどいろんな人に登場してもらい、自分的には大変楽しい回でした。
最後、「それではまた来週~」のあとに、東大のケネス・盛・マッケルウェイン先生からのコメントに気づいて、一回画面暗くしたのに戻るという凶行にも出てみました☆
週末に是非ご覧ください!
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倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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