友人とランチをして、近況報告を聞いたけど、
なにかと「世間」に苦しめられている様子だった。
マスクには意味がないとわかっていて、
はっきり態度で示すタイプの女性なのだけど、
一緒に長く舞台活動をしてきたはずの仲間が、
突然、世間の側について、
マスクをせずに舞台に上がろうとする彼女を
つるし上げたらしい。
彼女は、マスクのまま舞台に出る人がいても仕方ないと考えて、
それぞれの自由な意思で良いと提案してきたそうだけど、
「そんな人と一緒に舞台に上がりたくない」
みたいな差別心から降板する人が出てしまい、さらに、
降板した人=被害者
マスクをしない奴=降板させた、ならず者
という構図を作られて、糾弾されることに。
マスクした人がスポットライト当たってる舞台なんて、
不健全でしょがー!
つくづく、科学的な話も論理的な話も通用しないよね、
「掟」と「しきたり」だけがすべての村人だよね、
という話に終始した。
「世間がすべて」という世界があるということに
一度気が付くと、その世間との戦いは、
ずっと続くんじゃないかなと思う。
私は、コロナよりずっと前に、
別件で、世間にいびり倒されて、
レイプされて捨てられた体験があるから、
この3年でなおさら「世間」を意識するようになった。
コロナが終わって、誰もがすべてを流して忘れ去っても、
また、世間との戦いは起きるよ。
この戦いって、筋トレに似ているなとも思う。
ただ傍若無人にやり散らかして突破できるという話でもなく、
意識して戦って、耐久値と経験値を重ねて、
だんだん強くなっていくしかないというような。
もちろんどの世間にも属さずに過ごすことは難しくて、
「ゴー宣道場」も、数ある世間の1つ。
世間を全否定することには意味はなく、
別の側面では、日本人の良い部分につながってもいるので、
こういう特性を持つ日本のなかで、どう個人を発揮しますか、
ということが日本人のテーマの1つだと思う。
ところで、続々と「トップガン民」が表れて、
よきこと、よきこと。
私はもはや、画面を見なくても、音声だけで絵が見えるよね。
オープニングだけ、くり返しかけてくれる劇場ないかなあ。