先日、朝日新聞論座に『敵基地攻撃能力は立憲主義違反という前に考えるべきこと』を寄稿しました☞ https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022121900002.html
私が問題提起したいというか確認したかったのは、そもそも9条のもと自衛隊を創設して、その後なし崩し的に、世界情勢や周辺諸国との関係という「現実的必要性」におされて、憲法9条のもと、核兵器の保有も、敵基地への攻撃も、”必要最小限”というマジックワードのもと「禁止されていない」と解釈し続けてきた、という事実とそのことに見る立憲主義的な脆弱性です。
しかも、代表者の集まりである国会ですらない「政府」の「解釈」ですべてが決められていることに、主権者として違和感はないのかね。それをあらかじめ縛っておくのが立憲主義じゃないですか。多数派やときの政府でも変えられないハードルを課しておくのが立憲主義じゃないですか。
上にみた政府解釈は、民主党政権に交代しようが変更されなかった解釈です。閣議決定で変更できるんだから、じゃあ変更すればよかったじゃないですか。それでも民主党も変えなかった。
それは、この戦後憲法解釈の「融通無碍さ」の使い勝手の良さ、権力からみた都合の良さというメリットを追認し続けたからです。
それによって犠牲にし続けてきたのが憲法の規範力、統制力、総じて「立憲主義」です。
このことを理解してもらうために政府答弁等々のファクトベースで論じましたが、右も左もポジションからのコメントしか飛んでこんのですわ。
左からは「バカウヨの発想」、右からは「敵基地攻撃能力は可能だ!」
もう本来のリベラル・保守の思考回路からいくとカルトレベルの反応ばかりです。
っていうか左右共にその根底にある異様なまでのアメリカへの信頼も、ウクライナ戦争見てたら一回再考すべきでしょうよ。
安保法制反対のときも、それまでの解釈改憲はさておき、現状変更への批判のために自称リベラルは「立憲主義違反」と主張したときのデジャブですわ。
もはや自称リベラルっていうか自傷リベラルと化しているので、リベラル名乗らないでほしいなああああ。
ということで、是非今後の憲法と安全保障議論の前提にしてもらいたいことを書きましたので、是非ご覧いただけるとありがたいです。
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