先に述べたように、わが国固有の君主号「天皇」の
成立年代は608年だった可能性が最も高いだろう。
しからば、国号の「日本」はどうか。674年にまだ「倭国」を称していたことが
『日本書紀』の記事から分かる(天武天皇3年3月7日条)。
一方、『大宝令』(701年)では既に「日本」国号が
採用されていた(『令集解』公式令〔くしきりょう〕
「詔書式」条所引『古記』)。よって、「日本」国号の
成立が674年~701年の間だったことは、ほぼ疑う余地がない。この間のことであれば、いつか。
様々な条件を勘案して689年の『飛鳥浄御原令』で
制度化されと想定するのが最も説得的ではあるまいか
(拙著『謎とき「日本」誕生』など参照)。いずれにしても、「日本」国号の成立は「天皇」号の
成立より80年以上も時代がくだる。つまり、「天皇」は
「日本」より古いことになる。しかも、「天皇」号の成立によって示されている、
シナ中心の国際秩序だった冊封(さくほう)体制からの
離脱という歴史的条件が前提として無ければ、
冊封体制に規定されていた「倭」(白川静氏『字通』に
字義について「したがう、低い姿勢」などとある)から
「日本」(昇る太陽の真下にある、太陽の恵みが豊かな国)
という“自尊”的な国号への転換は、不可能だったはずだ
(但し訓読みではどちらもヤマト)。「天皇」は、単に「日本」より年代的に先行するだけでなく、
「日本」という国号が成立し得る不可欠な前提条件だった。
そのような歴史上の文脈において「“天皇”無くして“日本”無し」
と言っても、決して荒唐無稽ではないだろう。なお、『古事記』には「天皇」という語が数多く出て来る
(初出は「天皇命」)一方、「日本」とあるべき箇所が
全て「倭」となっている。これは、同書の原型が成立したと考えられる
天武天皇の時代(西條勉氏『古事記の文字法』ほか参照)、
既に「天皇」号が使われていた一方で、「日本」国号は
未成立だった実情を反映している(「天皇」号と「日本」国号が
同時期に成立したと見る学説もあるが、とても支持できない)。追記
12月13日に発売の「女性自身」にコメント掲載。【高森明勅公式サイト】
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