『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』
を読んだことのある皆さま、
第1章のこの名言、
覚えていらっしゃるでしょうか?
平和の反対は…
戦争?
違う。
「平和」という(状態)の反対は…
「混乱」という(状態)
では
戦争の反対は?
「戦争」という(手段)の反対は…
「話し合い」という(手段)
戦争とは外交の延長であり、
話し合いで双方がどうしても
折り合いがつかぬ場合に
やむなく用いる手段である
普通に使われる「戦争と平和」という言い方は厳密には誤りであり、「戦争」と「平和」は対比する概念ではないと知った時は衝撃でした。
そして、そう考えると目からウロコがいっぱい落ちます。
「平和」をいくら唱えても、平和という「状態」は実現できません。
「平和」を実現させるには、そのための「手段」が必要なのであって、それが「戦争」であったり、「話し合い」だったりするわけです。
であるならば、外交努力という「話し合い」の手段が絶え間なく行われていなければならないのと同じように、「戦争」という手段を行使する準備も絶え間なく行われていなければならないということです。
つまり、直接戦争はしていなくとも、戦争が全く欠如している期間なんかないと思わなければならないわけです。
そんな現実を、リアルタイムで見せつけているのがウクライナ戦争であり、これが決して日本人にとって他人事ではないと突き付けているのが『ウクライナ戦争論』です。
『戦争論』から『ウクライナ戦争論』までは、一直線につながっています!
この機会に、一挙に読破してはいかがでしょうか!?