今週は、グローバルダイニング対東京都の判決も確定させ、一区切りとなりました。
訴訟提起のときに、これは日本のネガティブな「あいまいさ」との戦いだと考えました。
(これについての私の論座への寄稿は➡ https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021040200008.html)
その着想は大江健三郎の「あいまいな日本の私」でした。
大江はノーベル賞受賞前年の1993年ニューヨーク・パブリックライブラリーでの講演で、あいまいな日本の私を論じる際に、3人の文豪の分析を通じて日本のあいまいさを語ります。
川端康成、夏目漱石、そして三島由紀夫です。
彼らは皆、近代化以降の日本社会の苦悩や病理を的確に捉えつつも、外に向って日本を語ってこなかったと大江は診断します。大江の診断は興味深いものがありますが、私は大江自身がその戦後の新しい「モラル」として「あいまいな憲法」を措定すること自体、あいまいさとの闘争ではなく、あいまいさからの逃走であると考えます。
価値観が相当異なると思われる大江と三島、双方が日本のあいまいさを指摘し、それが経済的成長で糊塗されてきたことまでを共有しつつ、あいまいな憲法に言及していることは示唆的です。
結局は、法律家としてはこの日本社会の悪しきあいまいさをどうするのかという問題は、このあいまいな憲法と向き合うことなのだと再度確信しています。
そしてまた、コロナ禍の日本社会の在り方は戦前・戦中の日本社会とも酷似していることも考えました。
それは日本的な「緩い=弱い」法制度・政治基盤のもと、「下から」創り出される緊急事態や同調監視社会です。そこに出現した強硬的な「専門家(一部科学者?一部軍人?)」とマスメディアが加わり、彼らが予測や戦略を外し・間違い続けても、間違えを認め修正することができずに突き進みます。
それらをすべて覆いこむ掛け声が「バスに乗り遅れるな」です。
2022年、戦後秩序を生きる我々も、乗り遅れたくないバスがナチスドイツからアメリカを中心とした秩序に変わっただけかもしれません。独伊の大勝を喧伝することと、コロナ禍で「1週間後はニューヨークになる」といって予想を外し続けながらマスメディアが同じ専門家の情報をヘッドギアをはめたように垂れ流し続けることはそんなに大差あるでしょうか。
奢侈品等製造販売制限規則(1940年)を制定して、不要不急品・奢侈贅沢品・規格外品等の製造・加工・販売を禁止し、隣組が監視する社会。
「戦時中には軍と警察が恐しかったと言われているが、私の実感としては隣り近所の人の眼の方が恐しかった」(吉村昭『東京の戦争』筑摩書房、2001年)と言われる社会は、現代とどう違うでしょうか。
結局は、日本独自の価値やあり方を追求することなく「バスに乗り遅れるな」と言い続けている点では戦前と全く変わりません。
日本は自然的なムラと都会的なムラの二重構造であり、自然的ムラビトが都会にムラを形成し、その都会のムラビトが憧れるのは「世界」です。その世界とは、神島二郎によると「時勢」ともいうべきある種スピリチュアルなものです。
この状況は2022年一つも変わっていないばかりか、コロナ禍でさらに深刻になりました。
裁判一つでは社会は変わらないかもしれませんが、コロナ禍という超特殊な社会の中におけるグローバルダイニング訴訟を通じてたくさんのことがわかりました。弁護団やスタッフ、そして会社の皆様から寄付及びそれだけではない応援をしていただいたすべての方に心から感謝です。
だからこそ、「おわりのはじまり」なんですね。まだまだ闘いは続きます!
そんなお話を徒然なるままに語っておりますので、グローバル裁判の意義と総決算とともに、週末に是非ご覧ください!
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