「小林よしのりの信者になってはいけない」という無意味な
お説教は『ゴー宣』描き始めて30年間、何度も何度も
あったが、簡単に言ってしまえば、漫画家は人気投票か
単行本の部数でしか評価されない。
幸福の科学の信者は、教祖が書いた本は全て買って
くれるだろうが、小林よしのりの読者はわしが描いた本
の全ては買ってくれない。
今までの『ゴー宣』を買わなかった人が、『コロナ論』に
どっとなだれ込んできた。
だが、その読者が「ウクライナ戦争論」を買ってくれるか
どうかは分からない。
読者が減るかもしれず、もっと増えるかもしれない。
わしの描く全ての本を買ってくれる信者が欲しいが、
そんな人物はいない。
いや、たった一人、とんでもないコレクターがいるが、
信者ではない。
わしは手塚治虫の信者と言ってもいいが、反戦平和の
感覚は拒否したまま信者である。
「少年チャンピオン」で連載してた時は、わしは手塚に
人気投票で勝っていた。
だが、それは大した意味を持たないと自覚している。
たまたま向こうがスランプ状態だっただけだ。
「ブラックジャック」の最盛期なら負けていただろう。
漫画家は作品によって読者が増えたり、減ったりする
ので、信者は作れない。
「人気投票」は漫画家にとって神であって、これには
逆らえない。
「信者か否か?」などと説教垂れる奴をわしが嫌うのは、
この地獄のシステムをなめているからだ。
デビューして今日まで、人気投票と発行部数で、地獄
の思いをしてきたプロフェッショナルをなめている。
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」は週刊文春に連載中は
全く人気投票が取れなかったが、単行本になったら
大ヒットした。
今では手塚の代表作のひとつになっている。
人気投票と単行本の部数が違ってしまうこともある。
信者論争なんて屁だ。屁でしかない。
嫉妬まじりの屁だから、すっごくクサい。
だがそのうちまた必ず屁をこく奴が出てくるだろう。