『文藝春秋』5月号のエマニュエル・トッドの「日本核武装のすすめ」、私も読みました。
ラスト2割の、日本は米国に頼りきるのではなく、核保有をすべきであって、ウクライナ危機でその必要性はさらに高まっているという結論部分は、確かに賛同できます。
しかし、その結論に至るまでに示されている8割の部分については、一切納得できません。
エマニュエル・トッドはこの8割の部分で、ウクライナ戦争は米国とNATOが悪いのであって、ロシアは悪くないという論を展開しています。
米国と欧州がウクライナを支援して、事実上NATO加盟国と同様にしようとしたことが原因であり、それはロシアにとって脅威になるため、その阻止のために攻撃したんだそうです。
プーチンは狂った独裁者ではなく、ロシアの文化に適した指導者で、ロシアにはこれ以上の領土的野心はないのだそうです。
そんなバカな話はなく、プーチンはロシア帝国やソビエト連邦のような大国を復活させる野望を持ち、領土拡張のために侵略戦争を起こしたことは明らかです。
ウクライナの歴史を見れば、ウクライナは何度もロシアに呑み込まれながら、ロシアとウクライナは違う民族であるというアイデンティティを持ち続けていたことが分かるし、それゆえに現在、国家防衛のために必死に抗戦しているのだということがわかるのですが、トッドはそのことを全く知らないようです。
それどころか、トッドはウクライナは今も国家として成立しておらず、ロシアとウクライナは歴史的に「兄弟関係」にあると言い切っています。
そしてその上で、こう言うのです。
〈現在ウクライナの人々は「自分の国のために死ぬこともできる」と見られていますが、この戦争が、ウクライナの人々に「国として生きる意味」を見出させたと言えるかもしれません。実に悲しいことです。〉
「実に悲しいことです」って、どういう意味でしょうか?
つまりトッドは、ウクライナはもともと国ではなかったのに、国家アイデンティティに目覚めちゃったのは不幸なことだと言っているわけです。おとなしくロシアの一部になっていれば幸せだったのにと言っているのです。
トッドは明らかにロシアのプロパガンダにやられています。何しろ
〈マリウポリの街 が〝 見せしめ〟のように攻撃されているのには理由があります。アゾフ海に面した戦略的要衝というだけでなく、ネオナチの極右勢力「アゾフ大隊」の発祥地だからです。〉
とまで言っているのですから。
それでトッドは、米国にとって戦争は文化やビジネスの一部で、自国民が犠牲になるリスクがないところで戦争をやっているのだと非難した上で、日本だって日米同盟に頼ってたらいつそんな無責任な戦争に巻き込まれるかわからないから、核武装すべきだと主張しているのです。
日本は米国に頼らず、核武装をすべきだという結論は賛成できても、そこに至る理由がこれでは、この論文を支持するわけにはいきません。
結局のところ、トッドは単なる「反米」で、それが「親露」にまでなっちゃっているのです。
「反マスコミ」のために陰謀論にハマって「親露」になったネトウヨとちっとも変わりません。
しかもトッドは、自国・フランスは冷静な議論ができる環境にないため、自分は沈黙を貫いているが、日本の文藝春秋というメディアなら信頼できるから、初めてこの意見を発表したと言っています。
フランスでこんな意見を表明したら猛反発喰らうのは当たり前ですが、それはこの意見が明らかに間違っているからです。
それでも自分の意見が正しいと思うのなら、どれだけ反発があってもひとりで議論を受けて立つべきなのに、トッドはフランスが冷静さを欠いているからということにして議論から逃げ、日本でなら文句言われないだろうと、コソコソ発表したのです。
実に卑怯な態度であり、エマニュエル・トッドという人物そのものに信用ができません。
そして、こんなものをありがたがって巻頭に載せる文藝春秋も狂ってるとしか思えません。
結論さえ合っていれば、他の誤りには全部目をつぶるという読み方もあるのかもしれませんが、それは私にはできません。