この度の天皇陛下のお誕生日に際してのご発言の中で、
国民として余りの申し訳なさに深く心を痛めたのは、
眞子さまのご結婚を巡る経過への記者からの質問にお答えになった、
次のような一節だ。「皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って、
国民と苦楽を共にすることだと思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、
状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。
皇室を構成する1人1人がこのような役割と真摯に向き合い、
国民の幸せを願いながら1つ1つの務めを果たし、
国民との心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との
信頼関係が築かれていくものと考えております。同時に、皇室に関する情報をきちんと伝えていくことも
大事なことと考えています」
「週刊誌やインターネット上の書き込みについては、
人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は、
憲法が保障する基本的人権として、誰もが尊重すべきものですし、
人々が自由で多様な意見を述べる社会をつくっていくことは
大切なことと思います。その中にあって、一般論になりますが、
他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を
傷つけることもあるということを常に心にとどめておく
必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、
異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な
社会が築かれていくことを願っております」
―畏れ多いが陛下は、日本社会の現状について、
残念ながら十分に「寛容な社会」とは言い難い(!)との
厳しい認識をお持ちのように拝される。
「寛容な社会が“築かれていく”ことを“願って”おります」
というおっしゃり方には、今後、そうした社会が
築かれていくことを強く願わざるを得ない、
目の前の社会の非寛容な現実への悲しみが踏まえられている。経済格差の拡大やインターネットの発達によって、
「寛容な社会」の形成はますます困難になっている。
しかし、それを断念してはならないことを陛下は教えて下さっている。
「他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、
異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、
尊重し合える寛容な社会」の為に、それぞれ僅かでも心を尽くそう。
皇室への理不尽なバッシングは勿論、論外だ。
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