「週刊新潮」(2月3日号)のトップに
「旧宮家の『男系男子』皇籍復帰の最筆頭『賀陽家』とは」
という記事。今、政治の場で浮上している皇族数確保策の1つ、
旧宮家系男子の養子縁組プランの候補者「“最”筆頭」
(そもそも“筆頭”という言葉自体が、改めて言うまでもなく、
ある領域での1番目に挙げられるものを指すのだが)として、
賀陽家を取り上げた記事だ。
ところが当事者への取材が皆無なのはどうしたことか。当事者への取材なし
賀陽正憲氏に26歳と24歳の男子がおられることは、
これまでも知られている。
以前は、父親や母親が取材に応えておられた。
しかし今や、立派に成年を迎えておられる。しかも、養子縁組プランが国会(各政党)によって
検討される局面に入った。
ここで当事者への取材を試みるのは、メディアとして
普通の手順ではないか。
なのに関係者の発言は、「この兄弟と対面したことのある賀陽家の縁戚」
なる人物の「きちんとして見栄えもする坊っちゃんたちです…」といった
簡単なコメントがあるだけ。
首をかしげる。
同誌は以前、賀陽正憲氏に直接、取材を行っていただけに、
余計に不思議だ。立場が違いすぎ、恐れ多い
ちなみに、その時の同氏の(愛子内親王殿下のお婿さん
候補になる可能性についての)
回答は以下の通り(同誌平成23年12月15号)。「賀陽家は、皇女をお迎えしておらず、また、既に当主なく、
私も菊栄親睦会(皇室の方々と元皇族などとの交流を図る親睦会、
平成26年5月18日以来、開催されていない)のメンバーではありません。
縁談などとは、立場が違いすぎ、恐れ多いことです。
息子たちはPSP(プレイステーション・ポータブル=ソニー・コンピュータ
エンタテインメントが発売した携帯ゲーム機)で遊ぶ、普通の男の子です。
皇室様へのお婿入りなど考えること自体、失礼と思います」養子縁組という話ではないが、固辞する姿勢が明確だった。
今回、賀陽家をメインに取り上げたにも拘らず、改めて
養子縁組プランについて、
正憲氏にも当事者の2人にも、取材を試みた気配すらないのは奇妙だ。八木秀次氏の同じ発言
又、今回の記事は麗澤大学教授の八木秀次氏の発言で締め括っている。
「旧宮家のご当主の方にお聞きしたところ、現在4人ほど“必要とあれば
皇籍に復帰する(正確には皇籍を新たに取得する)”という覚悟を
持っている若い男性がいるとのことです…」と。しかし同氏は、2年前も同誌(令和2年4月30号)で
同じような発言をしておられた。「旧宮家のご当主とお話しすると…実際に4人ほど、
必要があれば皇籍復帰する意思や覚悟のある男性がいるとも
聞いています…」と。すると八木氏の発言は、「現在」といいながら、
普通に考えると2年前に同誌の取材に応じた時点よりもっと
“前に”聞いた話に、基づいているらしい(頻繁に「旧宮家のご当主」と
会われているのなら話は別だが)。この間、皇室を巡る政治的・社会的状況に大きな変化が
あったことを考慮すると、いささかミスリーディングな
記事になっているのは否定できない。気楽な「皇室ジャーナリスト」?
更に気になるのは、同記事に登場する匿名の「皇室ジャーナリスト」。
機微に触れる情報の取材源を秘匿する為など特別な事情で、
敢えて匿名にするケースは当然あり得るだろう。
しかし、同記事でのこの人物の発言の多くは、同誌の過去の記事
(前掲平成23年12月15日号・平成30年11月8日号など)の
“地の文”に書かれた情報と重なる(それ以外もネット検索で容易に調べられる内容)。
「週刊新潮」の取材に対して、同誌バックナンバーを手元に置いて、
その内容を読み上げながら応えるという“気楽な”
「ジャーナリスト」が、果たして実在するのだろうか。故・東久邇信彦氏の「思い」
私もその皇室ジャーナリストの真似をするつもりではないが、
過去の同誌の記事(令和元年10月3日号)を紹介しておく。
こちらはちゃんとした取材に基づく内容だ。現在の皇室と(女系を介して)血縁的にも実際の交流でも、
最も親しい関係にあったとされる故・東久邇信彦氏
(昭和天皇の初孫に当たる)。
その「長年の友人」が次のように語っておられた。「皇族復帰について彼は『自分たちには関係ないことだからノータッチだ』
と話していました。
“戻りたい”と希望するのも言語道断だと考えていて、
そもそも復帰すること自体が違うのではないか、
今の皇室の流れの中で継承していくのが一番ではないか…
そんな思いを抱いていました」皇室と国民の“区別”への厳格な自覚が窺える。
長年の友人ならではの真実に迫る証言だろう。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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