昨日の『オドレら正気か?新春LIVE』
早速の感想ご紹介です!!
おはようございます(^^)
昨日の『オドレら正気か?新春LIVE』最高に面白かったですね!
新鮮なうちに感想です。
配信されたYouTube、速攻削除か?確認したら、まだ削除されていませんね。(まだ、という言い方も変ですが(^◇^;))
↓
現時点で早くも4.3万回再生数!!
コメント見ると、「神回」「多くの人に観てほしい」など好意的なコメントが並んでいます(^^)v
今回、一番印象に残って考えさせられたのは「常識についての議論」でした。
今は、私達のような主張(コロナワクチンは危険・コロナはインフル以下・コロナにワクチン必要なし、など)は圧倒的に少数派です。
少数派ですが、これこそ常識に基づいた判断だと私は思っています。
もし「世の中の多数派意見=常識」と呼ぶなら私達は非常識という事になってしまいますが、
果たして、常識とは「多数派の意見の事」を呼ぶのでしょうか?
私は、違うと思う。
・データ無視してコロナ恐怖を煽る。
・コロナ恐怖を利用してコロナワクチンを世界中に売りつける。
・殆ど重症化しない子供や若者にリスクあるコロナワクチンを打たせる。
・コロナワクチンの危険性を訴える人を一括りに「反ワクチン」「陰謀論に嵌った人」「読んではいけない本」とレッテルはって人々が意見を聞かないように誘導。
…これらは間違いなく「非常識」なのであって、
今は周りが非常識に覆われて「非常識が多数派」になり、「常識が少数派」になっている、という認識です。
非常識が多数派の世の中になった時、
自分1人になっても「間違ってる!」と言える勇気があるかどうか?
そこが今、常識ある大人に問われているのだと思います。
これは、自分勝手で幼稚な反抗ではなく、
世の中に常識を取り戻すため、間違った方向へ進もうとしている道を正すための、
「常識ある大人として、非常識な多数派への抵抗」です。
多数派=常識 ではないし、非常識が多数を占める事がある(ナチスのように)という認識が必要だと、議論を聴いていて思いました。
場外乱闘では、「常識ある少数派」が集まり、またまた大規模飲み会が開催されました。
マスクなしで大声で笑い、話し、濃厚接触バリバリです!
これを2年もやってるのに、私はコロナ禍前より風邪も引かず、免疫の軍事訓練しまくりで、健康そのもの!
「常識ある少数派」として、多数を占めた非常識を正常に戻すべく、今後も楽しみながら参加していきたいと思います。
小林先生・木蘭さんはじめ、お越しくださった常識ある少数派・ゲストの皆様の発言に、沢山の勇気と笑いと力をもらいました!
今の非常識な世の中では、オドレらのような「常識ある発言」が本当に貴重です。
心から感謝しています。
(よっしーさん)
「常識とは何か?」は昨日の議論でも
特に重要で、他のあらゆる問題にも関連する
論点だったと思います。
例えば、医学界と製薬会社とマスコミの
癒着関係なんか、
いくら業界の圧倒的多数が行っていることだろうと、
何十年も前から行われている慣行になっていようと、
世界のどこでも似たようなことが行われていようと、
やっぱりこれは、業界の中にどっぷり漬かって
感覚が麻痺している人でもない限り、
誰でも非常識だと思うんじゃないでしょうか。