きのうは、倉持師範の基調講演から、
日本人の意識(自意識)と、実際の置かれた状況との乖離、
「世間と自分」を常に比較する意識、
新自由主義の流入などに影響されて起きた格差、
そのなかでうごめく大衆心理や、
公共よりもエゴ、「自分だけよければ」を目指す人々、
マウントすることで何かを誇ろうとする人々の姿など、
なんとなく感じていた部分を、
よりクリアに分析することができました。
私は、小室ご夫妻バッシングを喜んでいる大衆というのは、
もしも、女性宮家が開かれて、小室圭さんが皇室入りしていた
ならば、ご結婚の儀式では一斉に大興奮して、
「やっぱり眞子さまはお美しい!」
「圭さんかっこいい! 今までの皇室にいないタイプの王子様!」
など口々に言いながら、一目お姿を見たいとパレードや、
その後のご公務につめかけたのではないかと思っています。
ワイドショーのコメンテーターも同じです。
「本当に素敵なご夫妻ですよね」とほめそやしまくったでしょう。
テレビのコロナ恐怖煽りに、左右されるごとく、
週刊誌の商売と、そこに結託する気持ち悪い男系絶対Y染色体真理教の
言説に煽られて、まんまとその時の「雰囲気・空気作り」に乗せられて
しまっているわけです。
そこに、どんどん生活が苦しくなるように政治に舵取りさせている状態、
人々が(家族でさえもスマホなどで)バラバラになってしまった現状
などが加わって、
まともな常識、普通の見解を語る人と接する機会の喪失、
他人と共感する力が弱体化して、
「自分だって」のエゴが膨張していること、
腹の底の醜い部分をあっさり誘発されて、
ネット上に異様なことを書き連ねる快感に酔う姿、
浮遊して不安定ななかで、周囲の目や意見に合わせることで、
心の安定を得ようとしてしまう弱い人々、
個を失って、どこまでも常軌を逸していく過程などが
浮かび上がってきました。
この議論をしたい、聞きたいという個人が毎度大勢集まる
「ゴー宣道場」という場、その場を形作ってきたみんなの
存在は、本当に貴重・重要だと思います。
そして、今後、自己慰撫や自己満足に陥ることなく、
「ゴー宣道場」から「良き庶民」「強い個人」、
条件がそろえば「強者」を生み出して、
現実に公を守るという意識を、より爆発させていかなければと
思いました。
来年、ますます激しくいきましょう!