『オドレら正気か? 関西LIVE』ありがとうございました!
コロナ社会のなかで、
特に、マスクの無意味さやワクチンへの疑念、
強要・規制されることへの反発心を強く持っていると、
職場や友人関係など周囲の人と話がまったく合わない、
後ろ指をさされる、ときには、正面から人格否定され罵倒される、
自分の意思を貫くと家族との関係が崩壊してしまうジレンマ
などを日常的に体験することがあると思います。
疑義を呈するだけで、超少数の過激派と見られている場面も
あったりします。
すると、同じ感覚を持っている人と出会えることで
気持ちを共有しあったり、感激したり、勇気や安堵感を得られたり、
自分の意思を貫いていいんだという気持ちになれたりして、
それ自体は、「人と接触してはならない」などとされる中で
非常に良いことだと思うのですが、
問題は、圧倒的少数派としてこの状況をどう打開すればよいか、
というところだと思います。
作られ、塗り固められている偏見を吹き飛ばし、
「それって、その通りかも?」と、思考や感覚の弾力・潤いを
得てもらい、浸透させてゆくには、
どんな切り口、語り口が必要かという点を
さらに鋭く考えなければならないと改めて思っています。
意見は常にはっきり表明しておきたいですが、
ことワクチンの薬害というものに対しては、
国とマスコミが引っぱる超強力な圧力のなかで、
変化が起きるのを待っていたのでは、
取り返しのつかないことになってしまう、
いや、もうすでになっているという危機感が強いです。
いまは体温計や腫れあがった腕の写真を見せ合うことで、
「副反応で39度の熱が出た~!」
「おお~、私は40度+ブツブツが出たよ~!」
と承認し合い、“ワクチン音頭”の盆踊りの列に加わることで
社会的イベントに参加できる、という高揚した世界になっており
まったく異常に見えます。
でもある日、「ワクチンいってらっしゃ~い」と送り出した
自分の身近な人、大事な人、子どもが倒れてしまった時、
青ざめて凍り付き、
「国や医者が大丈夫だと言うのを信じていた」
「そんな被害がすでに起きていたなんて知らなかった」
「自分は一体なにをしていたんだろう」
「まったく無防備に騙されて……取り返しのつかないことに
加担してしまったのではないか」
と苦悶し、その時には、いまは想像もしていない、
人間関係、家族、信頼、保たれていたバランスなど
何かが一変し、崩壊することになってしまうかもしれません。
「ごく一部の」犠牲者は、みんな「これは自然死だよね」、
「副反応は当然なんだからしょうがないよね」と納得している
のでしょうか?
煩悶しはじめてから「だってあんなに高熱が出るワクチンなんて
やっぱりおかしいだろう」と思いなおしても遅い。
それを「我に返る」と言うのでしょうが、
我に返るのは、今なんじゃないですか、とやはり思います。
そのための議論を徹底して展開していけるのは、
『オドレら正気か?』しかないと思っています。
今後も生放送、公開ライブ含めてガンガン闘っていきましょう!