昨日、トッキーが紹介してくれた忽那賢志の「ワクチン接種の意義」の一文、 あまりに幼稚すぎて開いた口が塞がらない。 『コロナとワクチンの全貌』発売!&忽那の驚くべき「利他的意義」 「2人の娘が接種するメリットは、男性で高血圧の持病を持ち 肥満でもある私が感染して重症化を防ぐという意義がある」 「接種する自身よりも利他的な意義が大きい」 ……本気か? 本気でそれを言っているのか?? 「まあ私がコロナに感染して死んだら娘たちも困るわけですから、 そういう意味では回り回って自分のためと言えなくもないかもしれません」 ……本気か? こんな取ってつけたような薄っぺらな一文、 自分は打算的で軽薄な人間ですって言っているのと同じだぞ? 私は忽那のこの記事を読んで、ペルシャ湾掃海派遣の あるエピソードを思い出した。 ペルシャ湾の掃海派遣というのは、1991年、湾岸戦争で イラクが敷設した機雷を掃海するために派遣された、 海上自衛隊初の海外実任務だ。 掃海の任務はつねに緊張を強いられ、命の危険が伴う。 人間が地雷原を歩くのと同じで、どこに機雷があるかわからない。 どんな種類の機雷が敷設されているかもわからない。 発見し、処分するのも命懸け。 3ヵ月半という派遣期間、艦首で見張りの任に就いたのは 海曹(下士官)クラスのベテランたちだった。 通常は若い隊員が見張りをするのだけど、万が一 浮流機雷にぶつかりでもしたら、艦首が真っ先に被害を受ける。 「若者は少なくとも俺たちより長生きする権利がある」と言って、 ベテラン隊員たちが自発的に見張りを替わったのだ。 あまり知られていないエピソードなのだけど、 これこそまさに自己犠牲的な勇気であり、 利他的な行動だろう。 打たなくてもいいワクチンを自分の娘たちに打たせ、 それが「利他的な意義」だと? そんなこと、よく言えたもんだね。 恥を知れ。 戦後の生命至上主義は、悲しいことに 自分の命こそ一番大事、そのために若者は犠牲になれ という利己的で幼稚な年配者を生んだ。 そのことに疑問を持たず、まるで敬老精神の発露であるかのように もてはやすメディアを生んだ。 また、それを当然のこととして受け入れる 傲慢な年配者を生んだ。 生命至上主義は、他者の命を尊ぶことを知らない、 じつにエゴイスティックで軽薄な人間を生んだのだ。 このことは、はからずもコロナ騒ぎで浮き彫りになった、 戦後76年の明記すべき総括のひとつだ。
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