出版への信頼性を保つ為に校閲というプロセスは欠かせないはずだ。
しかし、時間と手間とコストがかかる一方、目先の売り上げには
必ずしも直結しない。
そこで、しばしば校閲が軽視されることになりがち。
それが結局、読者からの信頼を失い、長期的には出版文化の
衰退を招くことが分かっていても、なかなか歯止めがかからないようだ。ここに、どうやら校閲という手間を惜しんだらしい実例を1つ、
取り上げてみる。
書き手は東京大学史料編纂所の教授。
れっきとした歴史学者だ。
その正真正銘の歴史学者が書いた歴史書が、一般向けの新書とはいえ、
いかにお粗末な間違いの数々を犯しているか。《伊勢神宮と天皇・皇室は元々無縁?》
例えば、こんな記述がある。
「飛鳥時代に持統天皇が伊勢神宮を参拝した後、
再び明治天皇が公式に伊勢神宮への参拝を開始するまでは、
約千年の時間が空いています。
…千年近くの『空白の期間』が存在する」「『伊勢神宮と天皇家には深い関わりがある』という話自体が
フィクションであり、明治になってから作られたのであろう」これは奇想天外な論述と言わざるを得ない。
まず、出発点の「持統天皇が伊勢神宮を参拝」という事実が、確認できない。
確かに、日本書紀に持統天皇が伊勢国お出ましになった記事はある
(同天皇6年3月6日条)。
しかし、神宮にご親拝をされた形跡は無い
(ちなみに、持統天皇のから明治天皇までの間は「千年“近く”」
ではなく千年“以上”)。この後、奈良時代の聖武天皇も伊勢国に行幸されているが、
やはり神宮へのご親拝は無かった(続日本紀、天平12年11月条)。これらより後に、平安時代の後朱雀天皇が神宮への
ご親拝を願われた時、天皇ご自身が、過去に天皇の神宮ご親拝の
“前例が無かった”事実を、明言しておられる(百錬抄、長久元年8月6日条)。
結局、歴代天皇で初めて(!)神宮へのご親拝を行われたのは
明治天皇であられた(明治2年3月12日)。
従って、「約千年の時間が空いています」
「千年近くの『空白の期間』」というのは全くデタラメ。《長年、ご親拝が無かった理由》
しかし、ご親拝を願われた例は、(実現はしなかったものの)
先の後朱雀天皇以外にも後白河上皇、安徳天皇、後醍醐天皇、
孝明天皇などが認められる(安徳天皇は幼帝ながら、
史料にはそのように出てくる。百錬抄、養和元年10月3日条)。
しかし、どなたもその願いがかなわなかった。
その背景については、「前例が無い」という事実が
最大の障害になっていたようだ。伊勢神宮のご神鏡は、元々、天皇の宮殿内に祀られていたとされる。
しかし、尊い神(皇祖・天照大神)をそば近くにお祀りするは
畏れ多いという理由で、崇神天皇の時代に宮殿の外の聖地で
祀られることになった。最初は当時の宮殿からさほど遠くない場所(比定地に諸説あり)に
祀られていたが、次の垂仁天皇の時代により相応しい聖地を求めて、
現在の鎮座地に移ったという(日本書紀・皇太神宮儀式帳・古語拾遺など)。当初、そうした経緯から天皇ご自身が拝礼されるのを憚っていたところ、
次第に「前例が無い」という事実自体が規範化されて、
ご親拝の機会を遠ざけてしまった、というのが恐らく実情だろう。
結果的に天皇のご親拝が長く行われなかった事実“だけ”から、
「深い関わり」そのものが無かったと断定するのは、
歴史学者らしくない短絡だ。《伊勢神宮との“深い関わり”》
又、飛鳥時代の天武天皇以降、明治天皇までの歴代天皇で、
神宮との「深い関わり」を示す出来事が史料で確認できない天皇は、
僅か2代だけ(八束清貫氏『皇室と神宮』)。承久の変によって3カ月足らずで退位を余儀なくされて、
畏れ多くも「九条廃帝」と呼ばれ、明治3年になって歴代に加えられた
仲恭天皇と、南北朝時代の天皇で関係史料が乏しい為に、
大正15年になって歴代に加えられた長慶天皇だ。このような特殊なケース以外、それこそ「千年」“以上”に渡って
全く「空白」無く、遷宮制度の開始、ご即位や国家的事業などの奉告、
奉り物の献上等々、様々な「関わり」があったのが事実だ。更に、比較的よく知られた史実として、古代から中世にかけて、
天皇が未婚の皇女(内親王、それ以外の女性皇族の場合も)を差遣して、
神宮の祭祀に奉仕せしめられた斎内親王(斎王、斎宮)の制度があった
(現在、地元の三重県多気郡には斎宮歴史博物館という施設もある)。崇神天皇から後醍醐天皇までの間、伝説的な存在も含めて
74代の斎王がおられた(やむを得ない事情で実際には赴任されなかったケースも)。
実に「深い関わり」と言う他ない。従って、伊勢の神宮と天皇・皇室の「深い関わり」が
「明治になってから作られた」なんて話は、それこそが「フィクション」と断言できる。
しかし、これは“校閲”以前の、歴史学者であるはずの書き手自身の責任か。この本(本郷和人氏『空白の日本史』扶桑社新書)には、
更に呆れる記述がてんこ盛り。
なので、次のブログでも、もう少し紹介しよう。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
BLOGブログ