私の憧れる指揮者の大野和士さんとの対談、公開されました!
本稿の変奏の主題は「コロナと表現」が1層目の主題。
その下、2層目に民主主義やコミュニケーションの自由、一番根っこの3層目が「人間らしさ」について。
①自分の頭で考える
:コロナ禍で感染防止と両立させながら「人に聴かせられる」コンサートをするために、ヨーロッパからきた数字は「ばかばかしい」数字であった。こうなったら自分たちで専門家を呼んで実験して演奏を開始する
②コミュニケーション、身体性・肉体性、民主主義
息遣いで変わる表現、そのためには送り手も受け手も現実の身体性が要求される。
これは実は民主主義の基礎となるコミュニケーションをも支えるはずのもの。
リモートやオンラインでは代替できない、ということを忘れては、社会が成立しない?
③感受性・心の自由と人間らしさ
芸術の役割は感受性を自由にしてあげること、それこそが人間らしさ。芸術が不要不急などという社会は、「あなたは人間ではなくてよろしい」という社会だ
私は以下の部分の大野さんの言葉が好き。音楽だけじゃない、人と会ったり、綺麗な景色を見たり、本を読んだり、スポーツしたり、おいしいもの食べたりしたときって、感受性・心が自由になって、羽が生えて飛んでいくとき、ありますよね。
そんな感覚は、リモートがあっても、オンラインがあっても、忘れたくない。ただ「生命」があるだけの人形でいいのか。私は「生きて」いたいなと、思った対談でした。
対談はコチラ
※今週の #クソすば でも大野さんとの対談をひいて民主主義とコミュニケーションについて話してますので、是非!
(50分くらいから)
↓
~~~~~~~以下引用~~~~~~~~
「ベートーベンの人生において、交響曲2番と3番の間には大きな隔たりがあるんです。
2番を書いている途中で彼の聴覚に困難が出始めた。そこで、彼は有名なハイリゲンシュタットの遺書を書いているわけです。自ら命を絶つことによってこの呪いから逃れるのだ、と。
しかし、ここで遺書を書いているベートーベンですが、創作意欲、創作力は常人を超えていました。そしてまさにそれ自体が彼を救ったんです。人間の感受性、心の持つエネルギーの膨大さと幾何級数的な広がり。その感受性とエネルギーをして、彼に死を思いとどまらせたわけです。
ということはどういうことかというと、感受性と心のエネルギーがあるから生ける人間なのであって、その心が自由に羽ばたいたときには、何によっても捕まること、捕まえることはできないんです。時代によっては、これを良しとしない権力や体制が存在することもうなずけるわけです」