終戦記念日だそうだ。関口宏の番組で、半藤一利を
紹介していた。
「日本の一番長い日」は凄い作品だった。
膨大な知識量があるから敬意を払うが、「サヨク」なのが
残念だ。
戦争を語るときは、必ず敵国の方も断罪しなければ
ならない。
自国だけが愚かな悪だったという判定ならば「サヨク」
である。
敵国だけが悪だったというのは「ウヨク」である。
だが、どっちもどっちだったというのは「価値相対主義」
であり、「サヨク」である。
大東亜戦争とは何だったか?という問いと、戦争とは
何なのか?という問いは別物である。
問いの立て方からして共通理解を得られぬまま議論
するから、建設的な議論にはならない。
「大東亜戦争」という名を使えば「右翼」という偏見まで
出来上がっているようでは話にならない。
「太平洋戦争」という名は、戦時中に使っていない。
わしは歴史的に使われた名前だから、「大東亜戦争」
を使っているだけで、戦後教育で育った秀才は絶対
「太平洋戦争」を使う。
太平洋を挟んで日本とアメリカが戦った戦争ではない
のに、アジア全体を巻き込んでいたにも関わらず、
「太平洋戦争」を使うこと自体が、わしは主観を失って
いる日本人だからだと、見ている。
このように、先の戦争に対する「観念」がそもそも全然、
違っているから、日本人の共通理解に達するのは、
相当難しい。
わしが描いた『戦争論』はその基本的な立場が、
我ながら見事だと思う。
「主観」がはっきりしていることと、戦後教育に洗脳
されていないこと、これが『戦争論』の凄さであり、
歴史に残る書物だと確信している。