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高森明勅
2021.5.10 06:00皇統問題

男系継承だったから平家や源氏が天皇の地位を狙えなかった?

「男系限定」維持を唱える立場から奇妙な意見を見掛けた。
「男系は皇統唯一のルールである。…このたった1つのルールによって
日本は『世界最古の国』となった。
…その理由こそ男系にある。父系を辿れば神武天皇に辿り着く皇統は
時の独裁者にも覆せない。

平家や源氏、あるいは足利、織田、豊臣、徳川…どの時代の権力者も
天皇になり代わることができず、せいぜい娘を天皇に嫁がせ、
外戚として振る舞うことしかできなかった」
(門田隆将氏、5月6日配信、夕刊フジ)と。

少しビックリするような発言だ。
というのは、ここで言及されている「平家や源氏、足利」は
皆、「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」からだ。
この論者は、その事実を知らないのだろうか。
改めて言う迄もないが、例えば平清盛は、桓武天皇の皇孫(3世)
高望王の血筋を引き、桓武天皇から11世の子孫。
源頼朝が清和天皇から10世の子孫、足利尊氏は源氏の血筋で、
清和天皇の15世の子孫で、皆、「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」
紛れもない「(皇族でない)男系の男子」だ。

「君臣の別」、天皇とそのご一族(として公認された方々)を
それ以外の臣下、国民と厳格に“区別”すべきだという、
歴史に培われたエートスを除外して、もし「男系が皇統唯一(!)のルール」
だったなら、彼らは「男系の男子」として、堂々と天皇の地位を狙っただろう。
しかし、歴史が証明しているように、そんなことは出来なかった。

歴史上、「君臣の別」、天皇・皇族と国民の厳粛な区別が、
揺るぎなく確立していたからだ。
たとえ「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」男系の血筋の人物であっても
(そのような人物は国民の中に数多く存在する)、ひとたび皇籍を離れ、
国民の仲間入りをした以上は、天皇の地位を狙うことは勿論、
元の身分に戻ることさえ、“本来なら”あるべきではない。
そのような考え方が浸透していた事実こそ大切だ。

もとより長い歴史の中では、いくつか例外もあった。
だが、それは踏襲すべき「先例」とは見なされず、原則から外れた「異例」とされる
(だから、皇室典範では一旦、皇籍を離脱した人物の皇籍への復帰や、
その子孫の皇籍取得を認めない)。
しかも、実例のほとんどは、天皇の皇子女(1世)から皇曾孫(3世)であって、
旧宮家系男性のように20世以上(!)も離れた例は全く無い。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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