「男系限定」維持を唱える立場から奇妙な意見を見掛けた。
「男系は皇統唯一のルールである。…このたった1つのルールによって
日本は『世界最古の国』となった。
…その理由こそ男系にある。父系を辿れば神武天皇に辿り着く皇統は
時の独裁者にも覆せない。平家や源氏、あるいは足利、織田、豊臣、徳川…どの時代の権力者も
天皇になり代わることができず、せいぜい娘を天皇に嫁がせ、
外戚として振る舞うことしかできなかった」
(門田隆将氏、5月6日配信、夕刊フジ)と。少しビックリするような発言だ。
というのは、ここで言及されている「平家や源氏、足利」は
皆、「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」からだ。
この論者は、その事実を知らないのだろうか。
改めて言う迄もないが、例えば平清盛は、桓武天皇の皇孫(3世)
高望王の血筋を引き、桓武天皇から11世の子孫。
源頼朝が清和天皇から10世の子孫、足利尊氏は源氏の血筋で、
清和天皇の15世の子孫で、皆、「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」
紛れもない「(皇族でない)男系の男子」だ。「君臣の別」、天皇とそのご一族(として公認された方々)を
それ以外の臣下、国民と厳格に“区別”すべきだという、
歴史に培われたエートスを除外して、もし「男系が皇統唯一(!)のルール」
だったなら、彼らは「男系の男子」として、堂々と天皇の地位を狙っただろう。
しかし、歴史が証明しているように、そんなことは出来なかった。歴史上、「君臣の別」、天皇・皇族と国民の厳粛な区別が、
揺るぎなく確立していたからだ。
たとえ「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」男系の血筋の人物であっても
(そのような人物は国民の中に数多く存在する)、ひとたび皇籍を離れ、
国民の仲間入りをした以上は、天皇の地位を狙うことは勿論、
元の身分に戻ることさえ、“本来なら”あるべきではない。
そのような考え方が浸透していた事実こそ大切だ。もとより長い歴史の中では、いくつか例外もあった。
だが、それは踏襲すべき「先例」とは見なされず、原則から外れた「異例」とされる
(だから、皇室典範では一旦、皇籍を離脱した人物の皇籍への復帰や、
その子孫の皇籍取得を認めない)。
しかも、実例のほとんどは、天皇の皇子女(1世)から皇曾孫(3世)であって、
旧宮家系男性のように20世以上(!)も離れた例は全く無い。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
BLOGブログ