畏れ多いことに、上皇后陛下に対し、週刊誌などが
事実無根のバッシングを繰り返したことがあった。
平成5年のこと。
その結果、遂に同年のお誕生日(10月20日)当日に
上皇后陛下がお倒れになる事態に迄、立ち至った。ばかりか、その後、半年にも亘(わた)って、
お声が出くなる失声症になられた。
国民として、これほど申し訳ない出来事はない。
この時、バッシングに狂奔した中心は「週刊文春」。
他に「宝島30」「週刊新潮」「サンデー毎日」も、これに加わった。それらの中では、月刊誌の「宝島30」が特に悪質だった。
当時の「週刊文春」の編集長は花田紀凱(かずよし)氏。
毎日新聞の取材に次のように答えていた。「小誌の記事が美智子皇后バッシングといわれるのは
本意ではありません。
強いて言うならば、宮内庁批判のつもりです」(同年10月20日付)と。
完全に開き直っている。
上皇后陛下がお倒れになった当日の記事だ。
その頃、同誌編集部にいたある編集者は、後にこんな風に語っている。「美智子皇后の特集をやるとやはり売れるんですね。
売れるので続けたと思います。
…ただし、今思えば相手が反論できる大組織だったら
問題なかったのですが、反論できない存在であることに
気づくのがやや遅かった」と。「週刊文春」(11月11日号)には、宮内庁の抗議に対する
中途半端な「お詫び」が掲載され、その後、文藝春秋社長宅の
寝室の外壁に銃弾2発が撃ち込まれる事件(11月29日未明)
なども起きた。
後年、私が花田氏から食事に誘われた時、彼は「若気の至りだった。
申し訳なかった」と頭を下げた。今更、私なんかに頭を下げても、勿論(もちろん)何の意味も無い。
当時のことを、上皇后陛下の最も身近におられた黒田清子(さやこ)様
(上皇・上皇后両陛下のご長女)が、以下のように振り返っておられる
(平成17年「36年間を振り返って」)。「両陛下のお姿から学んだことは、悲しみの折にもありました。
事実に基づかない多くの批判にさらされ、平成5年御誕辰
(ごたんしん)の朝、皇后様(上皇后陛下)は耐え難い
お疲れとお悲しみの中で倒れられ、言葉を失われました。言葉が出ないというどれほどにか辛く不安な状態の中で、
皇后様はご公務を続けられ、変わらず人々と接しておられました。
当時のことは私にとり、まだ言葉でまとめられない思いが
ございますが、振り返ると、暗い井戸の中にいたような
あの日々のこと自体よりも、誰を責めることなくご自分の
弱さを省みられながら、ひたすらに生きておられた皇后様の
ご様子が浮かび、胸が痛みます」と。私は決してテロルを讚美する者ではない。
それどころか、そのような行為は、天皇陛下をはじめ
皇室の方々を何よりも悲しませると考えている。
しかし、そうした行為を招き寄せてしまう理不尽な言論の在り方こそ、
最も糾弾されなければならないはずだ。
上皇后陛下へのバッシングの次は皇后陛下が標的となり、
それが今日(こんにち)迄、ご療養が長引く原因になっていることは、
誰の目にも明らかだろう。近年は、又別の標的に移っているようだが、いつまで「反論できない」
方々(更に皇族でもない一般国民の若者)への一方的なバッシングを
続けるつもりか。「売れるので続けたと思います」では済まない話だ。
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