随分、前から間違った言葉が普通に流通してしまっている
代表的な例の1つに、「独壇場(どくだんじょう)」がある。
正しくは「独擅場(どくせんじょう)」。「擅(呉音=ゼン、漢音=セン)」は「“ほしいままにする”
ひとりじめにする。
また、ひとりで自由に処理する」(『学研漢和大字典』)という意味だ。
独擅場は、改めて言う迄もなく「その人だけが思いのままにふるまう
ことができ、他人の追随を許さない場所・場面。ひとり舞台」
(『日本国語大辞典』14巻)という意味だ。ところが、「『擅』を『壇』に誤り、『ひとり舞台』の意味にひかれて
『どくだんじょう(独壇場)』という語が生じた」(同)という。
最近では、更に「どくだんば」とか「どたんば」という間違った
訓(よ)み方も、出て来ているらしい(『明鏡国語辞典〔第2版〕』)。ところで、そもそも「擅」を「壇」と間違えたのは、
“書き”間違えなのか。
それとも、“訓み”間違えなのか。
一般には、書き間違えによると説明されているようだ。
しかし、「『独擅場』を『どくだんじょう』と誤読し、
それで『独壇場』と書いた」(『岩波国語辞典』第8版)つまり
訓み間違えによる、という説明も見掛ける。勿論(もちろん)、今となってはどちらとも決められないだろう。
私の書斎にある国語辞書で最も古い、『大言海(だいげんかい)』
(日本初の近代的国語辞典とされる『言海』の増補改訂版)第3巻
(昭和9年)には「独擅場(どくせんぢャう、ドクセンジヨウ)」
だけを項目として取り上げている。だが、その説明中に「俗ニ、誤リテ、どくだんぢャう(独壇場)
ナドト云(い)フ」とある。
当時、既に「どくだんぢャう(独壇場)」がかなり広がっていたことが分かる。
同増訂の事業が明治45年に開始された事実も考慮すると、
今からおよそ1世紀ほど前には、早くも「誤リテ」独“壇”場という
言葉が遣われていたと見てよいだろう(明治24年刊行の『言海』
〔ちくま学芸文庫にて復刊〕が今、手元にないのは残念だが)。今や人前で「独セン場」などと言うと、
「いやいや、“独占”場じゃない。独ダン場ですよ」と注意されかねない。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
BLOGブログ
前の記事へ東日本大震災、当日の電話
皇室経済法と「女性宮家」次の記事へ