吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)氏の作品『鬼滅の刃』。
夥(おびただ)しい死が描かれている。
取り分け、鬼狩り(鬼殺隊)の最強メンバー「柱(はしら)」と、
その敵である鬼の始祖・鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)や
その手下、「十二鬼月(じゅうにきづき)の上弦(+下弦の壱〔いち〕)」
らの死に際、死に様が、一つ一つ丹念に描き込まれる。両者の死は、全く対照的だ。
美しく崇高な死と醜く惨めな死。
ひたすら他者の為、公(おおやけ)の為の死と、
私利私欲、私情・私憤による死。
そのコントラストによって、それぞれのこれまでの生き方の隔たりが、
残酷なまでに浮き彫りになる。
まさに、“死が生を映し出す”構図が明確だ。私自身は、産屋敷(うぶやしき)家当主でお館様(やかたさま)
と呼ばれた耀哉(かがや)の最期が衝撃的だったのと共に、
女剣士で唯一、非力ゆえに鬼の首を斬ることが出来ない
胡蝶しのぶの死に様に、最も“凄み”を感じた。【高森明勅公式サイト】
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