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高森明勅
2021.2.13 06:00皇室

「建国記念の日」3つの視点(3)

紀元節の元になった、『日本書紀』に描かれた神武天皇像を、
そのまま史実と見ることは出来ない(勿論〔もちろん〕、
『古事記』も同様)。

しかし、その物語の“核”には、国内統一の端緒において、
政治の中枢が九州(恐らく福岡方面だろう)から大和(奈良)の地に
遷(うつ)った「事実」があった、と見て良かろう。

そこから伝説的・神話的に物語として発展した部分は、
むしろ古代統一国家建設期の日本人の、国家や天皇への“理想像”が
語られていると受け取るべきだろう。
その観点から注目されるのが、神武天皇が橿原の地に“最初の都”を
定めるに当たって、国家建設の方向性を表明した「令(のりごと)」の
一節だ。

「天上の皇祖神がこの国をお授け下さったご恩恵に報い、
地上で皇祖の系統を受け継いだ代々の先祖が正義を育まれた
御心を弘めよう。
それによって、国内をまとめて都を開き、天下を全て一つの
家族のようにすることは、とても良いことではないか」
(『日本書紀』神武天皇即位前紀・己未〔つちのとひつじ〕年
3月7日条、高森訳)と。

ご自身で苦心惨憺(さんたん)して国の礎(いしずえ)を築かれたことが、
これ以前に延々と語られているにも拘らず、それを天皇自らの手柄とせず、
天上の神から与えられた恩恵としている。
その点に、古代日本人の“リーダー”像を窺(うかが)うことが出来る。

更に、「正義」を重んじ、その正義を自分に帰属させるのではなく、
代々の先祖が守り育てたもの、と位置付けていることも、大切だ。
こうしたメッセージが、初代天皇の「令」として語られていた事実は、
それ自体が強力な理念・規範として機能し、後の天皇に対して、
神への謙虚な姿勢と正義に基づく公正な行動を求め、権力を恣(ほしいまま)
に行使する振る舞いを、決定的に制約したはずだ。

「建国記念の日」の遠い源流には、古代統一国家建設期における
日本人の、“天皇と国家”のあるべき姿へのイメージ(心的表象)
が秘められていた。(了)

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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